リブラ離宮ではアダレイド皇妃が怒りに震えていた。
つい先日、次女のユーフェミアが乱心の末に虐殺を働いたかと思えば、今度は長女コーネリアの出奔である。怒るなというほうが無理があるだろう。
ユーフェミアに対しては、正直、コーネリアが甘やかしすぎたために世間知らず過ぎて、この宮殿で、皇室の中で生きていくには余りにも白過ぎて、結果愚か過ぎた。故に継承権はそれなりにあったにせよ、たいして期待はしていなかった。
しかも後で聞いた話では、エリア11で国是に反した特区などというもののために、皇位継承権を放棄、皇籍からの除籍を申し出ていたという。呆れてものが言えなかった。
しかしコーネリアは違う。女ながらに武人として武勲を上げ、エリア11の総督として認められた程の器。総督の任を無事に果たせばまた皇位継承順位を上げられるかもしれないと期待をしていただけに、裏切られた思いで一杯だった。
この前までは皇子のクロヴィスを失って、人事不省に陥っているガブリエッラ皇妃を嘲笑っていられたのに、今はそれどころではない。
不幸なことに男児には恵まれなかったが、二人の娘を得る程に皇帝の寵愛を賜ったというのに、いかなる様であることか。
アダレイドは、コーネリアについては出奔などするくらいなら、いっそのこと、国のために戦死でもしてくれたなら栄誉も守れただろうにと思うと、ふがいなさすぎて泣けてくる思いだった。
そうして実家の手も借りてコーネリアの行方を捜させながらも、そのような状態ではパーティーに出席など出来るわけもなく、離宮で鬱々と過ごしていたある日、侍女の一人が告げに来た。
「アリエス離宮からナナリー第6皇女殿下がお見えですが如何いたしますか?」と。
アリエス離宮と聞いて、アダレイドは目を見開いた。
アリエスの主マリアンヌ! かつて自分に向けられていた皇帝からの寵愛を奪った女! そしてその娘!
マリアンヌが殺され、息子と娘は今はエリア11となった日本に送られ死亡したと思っていたのに、つい先頃、娘の方だけが生きて帰って来た。今でも憎い女の娘が。
「先触れ一つなしに唐突に他の皇族の離宮を訪れるとはなんともの知らずな! して、要件は何と?」
「お見舞いにと仰っておられます」
「見舞い? 見舞いとな! いいでしょう、会いましょう。応接間に通しなさい。一番格下の部屋でよい、どうせ目は見えぬのだからどの部屋でも同じであろう!」
「はい、畏まりました」
アダレイドのリブラ離宮に限らず、皇妃に与えられた離宮には、応接室は一つではなく複数ある。迎える相手によって通す部屋を変えるのである。
アダレイドはことさらゆっくり仕度をすると、ナナリーを通させた応接間へと入っていった。
応接間ではナナリーが車椅子に座ったまま、女主人を待っていた。
「これはこれはナナリー皇女殿下。今日はわざわざお見舞いに来てくださったとか」
アダレイドは表面上はにこやかに対応した。
「はい。ユフィお異母姉さまには小さい頃とても親しくしていただきましたし、コーネリアお異母姉さまにも可愛がっていただきました。
ユフィお異母姉さまがあのような死に方をして、コーネリアお異母姉さままで行方知れずとお聞きして、母君であるアダレイド様のお気持ちを少しでもお慰め出来ればと思い、お見舞いに伺わせていただきました」
「……先日はガブリエッラ皇妃の元にも行かれたそうですね」
「はい。クロヴィスお異母兄さまを亡くされてからお躰を悪くされていると伺って」
「とてもよい心がけでいらっしゃること」
声は柔らかく、けれどその顔、口元は憎々しげに歪めながらアダレイドはそう口にした。
「それ程に、皇子や皇女を亡くした皇妃をいい気味だとお思いですか」
「え?」
「そうなのであろう? 自分の母親を殺したかもしれない他の皇妃の皇子や皇女がいなくなって、さぞかしいい気味だと思っているのであろうが!」
「アダレイド様……」
アダレイドの突然の変容に、ナナリーはついていけなかった。理解が追い付かなかった。
いい気味だと思っているなんて、そんなことはないのに。本当に純粋にお気持ちをお慰めしたくて来たのに、どうしてそんなふうに言われるのかと、ナナリーは戸惑うだけだった。
「七年前、死んだとの知らせを受けて喜んでいたのに、今頃になってのこのこ一人だけ帰ってきて! お兄さまはどうされたのでしょうね? お兄さまを犠牲にして生きて帰ってこられたのかしら?」
「そんな!?」
「だってそうでしょう? 目も見えず、足も動かない貴方が、一体どうやって一人でエリアで生きてこられましたの? お兄さまがいらしたからでしょう? なのに、そのお兄さまをおいて自分一人だけのこのこと帰って来て、いい気なものだこと」
「そんなことはありません! お兄さまのことは今でも心配しているんです」
兄のことを言われて、ナナリーは必死になった。
「心配して、それで何かなさってらっしゃるの? 何もしていない小娘が、他の皇妃の見舞いですって!? わざとらしい!
一人を虐殺皇女という汚名の元に亡くし、今一人は自ら出奔という恥を曝しているこのリ家を嘲笑いに来たのであろうが!
しかも、いかに皇族同士とはいえ、本来、他の離宮を訪ねるなら、アポイントを取るなり、先触れをするなりするべきところを何もせずにいきなり訪れるなどと、宮廷でのあるべきマナーも弁えぬ小娘如きが!!」
「アダレイド様!」
兄のことについては、心配しながらも何も出来ていないのは、事実なので否定はしない、出来ない。自分は身体障害を抱えており、何の手のうちようもないのだから。
とはいえ、それは端からすれば、単なるナナリーの怠慢、認識不足、考えなし、としか映ってはいないのだが。たとえ本人であるナナリー自身が、目と足に障害を抱えていても、帝位継承権は低いとはいえ、皇女の一人であることに間違いはなく、彼女に臣下を使うだけの考え、能力、器量があれば、出来ることはあるのだから。故に、他人からすれば、ナナリーの言っていることは、彼女自身は気づいていないが、彼女が何も出来ない、していないことに対しての、単なる言い訳にしか聞こえていない。
そしてその一方で、皇子や皇女を亡くした皇妃への見舞いは、ナナリーからすれば、本当に純粋な思いからしていることなのに、どうして分かってもらえないのだろうと、彼女は思う。ただ、マナーを弁えていないと言われたことに対しては、恥じ入るしかなかったが。
結局、ナナリーは二人の娘のことで心を乱しているアダレイドに対して、掛ける言葉が見つからなかった。
しかしそれを引き起こしたのは、ナナリーの突然の訪問なのである。ナナリーが簡単に見舞いに、などということを考えなければ、そして指摘されたように、せめて先触れをしていれば、アダレイドがここまで乱れた心を曝け出すことはなかったのだ。その段階、つまり先触れが入った時点で、アダレイドはナナリーの訪れを断ったであろうから。
宮廷を出されてかつての日本に送られた時、ナナリーはまだ幼く、よく理解していなかったということもありはしたが、彼女は、母であるマリアンヌが、そしてその娘である自分が、他の皇族たちからよく思われていなかったということを、あまり、というより、殆ど認識していなかった。それは現在も同様であるが。
なればこそ、かつて憎んだ女の娘に憐れまれているということが、アダレイドには何よりも堪らないのだが、ナナリーにはその感情が分からない。
「さっさと出ておいき、売女の娘が! 誰か、誰かある!」
アダレイドの声に、離宮に勤める侍従や侍女が数人駆け付けて来る。
「この小娘をさっさと追い返しなさい、二度と宮に入れるでない!」
「は、はい」
「二度と妾の前に姿を見せるでないわ!」
そう言い放つと、アダレイドは応接間をさっさと出ていってしまった。
「皇女殿下、本日のところはこれでお引き取りくださいませ。そして出来ましたら二度とおいでくださいますな」
「何故、です……? 私は純粋に……」
「皇女殿下はそうお思いでも、皇妃様はそうは思われません」
「そんな……」
「それが後宮というものです。皇女殿下ももう少し大人になられればお分かりになられるでしょう」
侍従にそう言われ、車椅子を押されて離宮を出されるまで、ナナリーは下を俯いたままだった。
ただ、自分の好意は必ずしも純粋に受け取ってもらえるものではないのだと、そう思い知らされたナナリーだった。加えて、己が皇族として、この宮廷で過ごしていくために必要なマナーを身につけていないことを。
── The End
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