もう一人の私




 ナナリーは今日は全ての予定を終えて、あとは寝るだけとなり、侍女の介添えを受けてベッドに身を横たえた。
「それではおやすみなさいませ」
 侍女がそう一言告げて、一礼してから室内の明かりを消して出ていく。
 それを見送った後、ナナリーは深い息を吐き出した。そして心の中で思う。
 ── 今日も少しはお兄さまの望まれた世界に近付くことが出来ましたか? と。
 兄であるルルーシュが“悪逆皇帝”としてゼロの手にかかって果ててから、もうどれくらい経っただろうか。
 ルルーシュが何を考えているのか、最初は何も知らず、知ろうとも、理解しようともせず、それを知ったのはルルーシュの最期の時。
 息絶えようとするルルーシュに触れた時、色々なことがナナリーの中に流れ込んできた。
 ルルーシュは何も変わってはいなかった。
 ルルーシュにとって何より大切なのはナナリーで、ゼロとなったのもきっかけはナナリー。ナナリーが“優しい世界になりますように”と望んだから。
 ナナリーの望みは“お兄さまと二人、幸せで優しい世界で生きていくことが出来ること”だったのだが、ルルーシュにはそこまでは通じていなかった。言葉通り、文字通りのナナリーが生きていくことが出来る“優しい世界”を望み、それを創ろうとしていたのだ。
 だがそれに全く気付かず、そう、ルルーシュがゼロであることさえ気付かずに、自分の望みを叶えるために、自分の言葉から誕生したゼロを、つまりは自分のためにゼロとなった実兄であるルルーシュを否定し、自分を騙していた、嘘をついていたと非難し、悪魔と罵り、敵対した。なのにルルーシュの中にあったのは、ひたすらにナナリーに対する愛情だった。
 表では“悪逆皇帝”と認識されているルルーシュを庇うことも出来ず、他の皆と同じように非難しているが、夜、一人になった時だけは、自分のたった一人の愛する兄であるルルーシュを想い、彼の望んだ世界を考える。
 そしてその夜もそうして目を瞑り、眠りに入った、はずだった。



 気が付けば、ナナリーは暗闇の中に一人でいた。
 目は見えるようになったが足はどうにもならず、今でも車椅子と、何かをしようとすれば介添えが必要な状態であることに変わりはないはずなのだが、今、自分が車椅子に乗っている感じはない。
 あたりをよくよく見回すと、一点、ほのかに明るいところが見えて、ナナリーはそちらに意識を集中させる。そうすると、それにあわせたようにナナリーの身もそちらに近付いていった。それはまるで流れているかのようで、歩いている感じなどこれっぽっちもなかった。
 夢、なのだろうか。ナナリーはそう思った。それ以外には考えられなかった。
 明るい方に近付いていくと、一人の少女がリハビリのための訓練室のような部屋の中で、並行に並んでいる二本の棒を掴んで、必死になって前へ進もうとしている。少女の額には汗がびっしりと浮かび、流れ落ちんばかりだった。けれど少女は目を開いて、懸命に一歩でも前へと進もうとしている。
 その少女はよくよく見ると自分にとく似た面差しをしていた。今よりも数年若い、そう、おそらくまだアッシュフォードにいた頃の自分に似ているのだと、ナナリーは思った。少女の周囲を見回せば、リハビリのためのトレーナーらしき若い男性の他に、少し離れた所に車椅子と、一人の日本人と思われるメイド服に身を包んだ女性が立っていた。
 咲世子だろうか、とふと思った。
 けれど今目の前で展開しているようなことは、ナナリーの記憶の中には一切なかった。病院はいつも検査と、治療ともいえぬ治療だけで、このようなリハビリのようなものをした経験はなかった。
「さあ、時間ですよ、ランペルージさん。今日はこのくらいにして、また次の時に頑張りましょうね」
「はい、先生」
 男性が少女に掛けた声に、自分の記憶にはないが、この少女は自分なのだとナナリーは思った。
 少女は咲世子と思われる女性に手伝ってもらって車椅子に乗ると、その部屋を出ていった。
 ナナリーの意識は、無意識のうちに少女の後を追っている。
「ナナリー様、今日もよく頑張られましたね」
 女性が笑みを浮かべながら少女に声を掛ける。
「でも、まだまだです。どんなにゆっくりでもいい、少しでも自分で歩けるようになりたいのに」
 もどかしそうに少女が告げる。
「そうすぐに思うようにはいかないものです、それは仕方ないと思わなければ。焦りは禁物ですよ」
「ええ、分かってはいるのですけど……」
 それから、ナナリーは日々、そうしてリハビリを続ける少女を見続けた。
 それだけではない。アッシュフォードのクラブハウスに戻れば、足は変わらずに動かず車椅子のままだが、目は見えるからだろうか、兄であるルルーシュや咲世子がする食事の仕度の手伝いなどをし、時にはルルーシュにお茶を淹れたりしていた。そうすると、ルルーシュは笑みを浮かべて「美味しいよ」と答え、少女── ナナリー── の頭を撫ぜた。
 今、ナナリーが目にしているものは、一切自分の記憶の中にはないものだった。そしてそれらの様子を見て思う。自分は一体どれだけ兄に甘え、依存していたのかと。



 それからどれくらい経ったのだろうか。時間の概念がないので分からないのだが。
 少女の部屋で、彼女はふと一点を見てきつい眼差しを送ってきた。そこにいるのは自分だ。彼女には自分が見えているのだろうか。他の人には誰一人として見えていないようなのに。
「そこにいるのでしょう? 私ではないもう一人の別の私、ナナリー・ランペルージ。いえ、ナナリー・ヴィ・ブリタニア、と言った方がいいのかしら」
 ナナリーはビクッと反応した。
「ここは貴方の住む世界とは違う世界。並行世界、とでも言ったらいいのでしょうか。私も以前、そうやって別の世界の貴方を見ていたことがあったわ」
「並行世界……?」
「貴方は一体何をしているの? 何をしてきたの? ただ自分の境遇を憐れに思い、諾と諦めて何もせず、お兄さまから無条件で与えられる愛情と献身に甘えて、自分では何もしようとしなかった。違って? 自分にとって都合のいい話だけを聞き入れて、それ以外は何も聞かず、知ろうとせず、気付こうとせず、自分では何も考えようともせずに、ただ流されるままにあった。そしてお兄さまと敵対して、お兄さまを罵り、罵倒して、遂にはお兄さまを死に至らしめた。それが貴方だわ。そしてお兄さまが死んでから、お兄さまの死の間際に知った事実に、お兄さまの意思を継ぐのだとばかりに動いているようだけど、それは本当に役に立っているのかしら? お兄さまの意に報いることなのかしら?」
「そ、それは……」
 ナナリーには言い返す言葉がなかった。
「でも私は違うわ。確かに足はまだまだだけど、お兄さまや、自分のことを考えてくれている人たちのために少しでも何かをしたいと思って、出来る限りのことをしているし、そしてそれを続けていこうと思っている。貴方のように流されるだけ、お兄さまにただ寄りかかるだけの自分で満足なんかしないわ。だって、私には私なりに出来ることがあるはずだもの。少しでもお兄さまのお役に立ちたい、お兄さまの私に対する負担を減らしたいと思うもの。貴方にはなかったみたいだけど」
 少女の言葉は、最後は嘲りが含まれているようにナナリーには感じられた。



 気が付くと朝だった。ナイトテーブルに置かれた時計は、6時半をさしている。日付も一日しか経っていない。つまり実際にはたった一晩の間のことだったのだ。けれどナナリーは疲れていた。自分はあの世界にどれくらいの間いたのだろうかと思う。日付と時間からすれば間違いなく一夜のことにすぎないのに、時間の感覚が全くない。
 少女から投げ掛けられた言葉がナナリーを突き落とす。
 少女の言った通りだ。
 自分は何もしなかった、知ろうとしなかった。他人── シュナイゼルたち── の、自分にとって耳触りのいい言葉だけを信じて、本来なら誰よりも信じなければならなかったはずの兄を信じなかった。兄の言葉を聞こうともしなかった。その結果が兄の死であり、今の現状なのだ。
 現在、ブリタニアという国の代表たる立場にある自分。だが本当にそれでいいのだろうか。それだけの意味が自分にあるのだろうか。責任を果たせているのだろうかと、ナナリーは疑問にかられ始めた。

── The End




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