絶 縁




 天空要塞ダモクレス、その中にある空中庭園の中、ナナリー・ヴィ・ブリタニアはそこに一人きりでいた。皇帝を名乗りながら、誰も彼女を守る存在はなくただ一人で。それは何よりも雄弁に、ナナリーがシュナイゼルの傀儡である事実を明らかにしていた。もっとも、ナナリー自身はそのようなことに気付きもしていなかったようだが。
 その庭園の中に足を踏み入れたルルーシュは、ゆっくりとナナリーに近付いていった。
「お兄さまですか?」
「そうだよ」
 そう答えながら、ルルーシュはナナリーが手するフレイヤの鍵を確認した。
「それはおまえが持っていてはいけないものだ。渡しなさい」
 言いながら、ルルーシュはナナリーに向けて手を差し伸べる。
「これは渡せません」
 ナナリーは手にした鍵を強く握りしめた。
「八年ぶりにお兄さまのお顔を見ました。それが人殺しの顔なのですね。そして私も同じ顔をしているのでしょう」
 そう告げて、ナナリーはゆっくりと、母マリアンヌを亡くして以来、ずっと閉ざしたままだった瞳を開いた。
 その様にルルーシュは驚きを隠せない。ナナリーが瞳を開いたということは、すなわち、シャルルの掛けたギアスを解いたということだ、それも自力で。
「私にもギアスを使いますか?」
 ナナリーはルルーシュに問い掛けた。鍵を奪い取るために、自分にもギアスを使うかと。
 ナナリーのその言葉にルルーシュは葛藤する。ルルーシュの中には、ナナリーにギアスを使うという選択肢は存在していなかった。それはナナリーが盲目の状態にあるため、使用出来ない、ということが最も大きな理由ではあったが。
「人の意思を奪い、自分の思うように人を操る。ギアスは卑怯な力です!」
「……ならばフレイヤは、このダモクレスはどうだというのだ!? トウキョウ租界では3,500万余の死傷者を出し、ブリタニアの帝都ペンドラゴンを壊滅させて億に届かんとする人々を、ギアスと同じように、否、ギアス以上に人の意思を無視してその命を一瞬のうちに奪い取るフレイヤは!?」
「人々の憎しみはこのダモクレスに集めるんです。そうして人々の意識を一つに纏めるんです」」
 ナナリーのその言葉に、ルルーシュは一瞬息を呑んだ。が、それは本当に一時のことで、ナナリーに向けて冷めた言葉を向ける。
「随分と傲慢なものだな。ブリタニア皇帝を僭称する立場としては当然のことか? あれだけの死傷者を出し、自国の帝都を破壊しながら、そこに何の責任も負い目も持たないか?」
 口角を上げて、嘲るようにルルーシュはナナリーに問い掛ける。
「トウキョウ租界の決戦は、全権をシュナイゼルお異母兄(にい)さまにお任せしていましたし、ペンドラゴンに関しては避難勧告を出していました!」
 自らに責任はないとでも言うかのようなナナリーの言葉に、ルルーシュは半ば呆れたような、そしてまた嘲るような嘲笑を浮かべる。
「エリアの総責任者たる立場にありながら、全権を、宰相とはいえエリア外の人間に任せる? ペンドラゴンに避難勧告? だから自分には責任はないと? いずれも総督たる立場、皇帝を名乗る立場からは程遠い言葉だな。エリア11に関しては、例え全権をシュナイゼルに委任していたとしても、最高責任者が総督たるおまえにあるのは間違いのない事実。にもかかわらず、死亡を偽装し、トウキョウ租界のフレイヤによる被害、混乱を無視して己のみ安全な地に身を隠す。この行為の何処が総督としての責任を果たしていると言える!? そしてペンドラゴンに避難勧告? ペンドラゴンにそのようなものは出ていなかった。ペンドラゴンにいた人々は、何の勧告もなく、一瞬のうちに、わけも分からぬままにその命を奪われた。皇帝を僭称したおまえの名の下に。その何処におまえに責任がないと?」
「でも! だからといって人の意思を蔑にするギアスは許されるものではありません!」
「ではおまえのしたことは許されることとだとでも言うか?」
「だから、人々の憎しみをこのダモクレスに、私に集めて、世界を一つに纏めるんです。それでたとえお兄さまの命を奪うことになったとしても」
「そうしておまえは天空の高見から、人々を恐怖で支配しようというのか、シュナイゼルの望むままに」
「私はそんなつもりは……!」
「ないと? だが実際におまえが、おまえたちがやろうとしているのはそういうことだ。父シャルルは昨日で、シュナイゼルは今日という日で、時を止めることを望んだ。そしてシュナイゼルに賛同し、フレイヤで、ダモクレスで世界を統一しようとするおまえもまた、今日という日で世界を固定し、人々の未来を、明日を拒むということだ。だが俺は明日を望む。故にギアスという力を手に入れてから、ブリタニアに、シャルルに抗ってきた」
「でも! お兄さまのなさってきたことは、人々の意思を捻じ曲げるギアスという力は、許されることではありません!」
 ナナリーはシュナイゼルに告げられた言葉を信じ、己たちのすることだけが正しいのだと、兄ルルーシュは間違っていると思い込み、己の責任から目を背けている。故に、二人の会話は噛み合わない。
「ナナリー、おまえはさっきから自分のしてきたことからは目を背け、俺のギアスのことばかりを責め続けているな。おまえは自分が為してきたこと、為さずにきたことに対して、どう思っている? どう考えている? 先程答えたように、おまえは何の責任もないとそう思っているのか? あれだけの大量の人々の命を一瞬のうちに、ギアス以上にその意思を無視して奪い去っておきながら」
「そ、それは……」
 ナナリーは答えに窮した。
 ナナリーにとって、ギアスは許されざる力であり、それを行使する兄ルルーシュは今や卑怯で、卑劣な存在でしかなかった。今、自分の目の前にいるルルーシュは、かつての優しかった兄ではないのだとの考えしかなく、トウキョウ租界の件も、ペンドラゴンの件も、そこにフレイヤが落とされたという事実は知っていても、それが自分にとってどのような責任を齎すものかということを、正確に理解していなかった。フレイヤのスイッチを押すことで、この戦場で多くの兵士の命を奪っていると、頭では分かってはいても、正確には理解していなかった。
「俺はおまえをみくびっていたようだな。おまえが望んだ“優しい世界”、それはフレイヤによる恐怖によって支配された世界だったということか?」
「ち、違います!」
 ナナリーはルルーシュの言葉を思い切り否定した。
 しかしいくらナナリーが否定したとしても、ルルーシュの告げたことが事実だ。フレイヤの下で、その恐怖によって支配され統一された世界の何処が“優しい世界”だというのか。フレイヤの恐怖の下、他の一切の争いがなくなればそれが“優しい世界”だとでもナナリーは信じているのだろうか。恐怖による支配の一体何処が“優しい世界”だと言い切れるのか。
「つまるところ、おまえが望んだ“優しい世界”は自分にとっての“優しい世界”であって、そこに他人は介在していなかったということだな」
「そんなことはありません! 私は、本当にこの世界が争いのない“優しい世界”になればと!」
 いくらナナリーが言葉を重ねても、それはルルーシュには虚しくしか聞こえなかった。
 ルルーシュはさらにナナリーに近付くと、右手を伸ばした。ナナリーから鍵を奪うために。
「だ、駄目です、これは渡せません!」
 車椅子に座ったままの年下のナナリーの抵抗など、いくら体力がないと言われているルルーシュにとっても、たかがしれたものでしかなく、ルルーシュはギアスを使用するまでもなく、ナナリーから鍵を奪い取った。
「あっ!!」
 そのまま、ルルーシュはナナリーに声を掛けることもなく背を向けて歩き出した。
「待ちなさい! 待って! お兄さまは悪魔です! 卑劣で、卑怯で、なんて酷い……」
 庭園から立ち去ろうとしていたルルーシュはその言葉に振り向いた。
「悪魔? 卑劣で卑怯? トウキョウ租界に、ペンドラゴンにフレイヤを落とし、己のしたことの責任を取ろうともしない大量虐殺者にだけは言われたくないな」
「っ!!」
 先刻から何度も会話の中で告げてきたことを、それでもナナリーは理解していなかったという事実に、ルルーシュは改めて失望し、彼女をそんなふうにしてしまった一因は、汚いものを見せず、綺麗なものだけを見せるようにして育ててきた自分にも一旦の責任があるか、とも思いながら、自分を追おうとするナナリーを無視して庭園から立ち去った。
 既にシュナイゼルたちは捕え、ダモクレスはルルーシュの支配下にある。つまりフレイヤは現時点ではルルーシュの支配下にあるということであり、黒の騎士団は既に態をなしていない。戦いは、ルルーシュ率いるブリタニアの勝利で既に終わったといっていい。
 ナナリーはこの後、フレイヤを落した虐殺皇女として裁かれることになるだろう。けれどブリタニアの皇帝たるルルーシュの立場としては、エリア11の総督としての役目を全うすることなく、死を偽装して、その上、皇帝を僭称し、自国の帝都にフレイヤを落として大量虐殺を働いた皇女を、たとえ実妹といえど庇いだてすることは出来ない。
 黒の騎士団の残党を、そして唯一の戦闘集団とした黒の騎士団を失った超合衆国連合を今後どうするか、何よりも帝都を破壊された自国ブリタニアの機能をどう復興させるかも考えなければならない。
 ルルーシュがこの世の誰よりも愛し慈しんできた妹ナナリー。ギアスを手に入れてから創り上げた黒の騎士団は、元をただせばナナリーの望んだ“優しい世界”を創り上げるためのものだった。
 しかしナナリーの望んだ“優しい世界”は、そして彼女が為したことはその言葉とは裏腹なものであり、たとえ年少者、身体障害を抱えた弱者であったとしても、一エリアの総督であった身として、そして皇帝を僭称した身として、ナナリーは己の為したことの責任をとらなければならない。そうでなければ世界の民衆も納得はしないだろう。たとえ自分たちに被害がなくとも、大量破壊兵器フレイヤの齎す威力は世界に知れ渡っている。特にフレイヤを落されたトウキョウ租界、同じくフレイヤで自国の帝都を破壊され身内を虐殺され、そしてまた、この戦場でナナリーによって放たれたフレイヤで殺された兵士の遺族たるブリタニアの民は、決してナナリーを許すなどということはないだろう。
 なればこそ、たとえどれ程愛しい存在であろうと、ルルーシュはブリタニアの皇帝として、虐殺者であり、皇帝を僭称した反逆者であるナナリーの責任を問わねばならない。それが皇帝たる己の役目、立場なのだから。
 そうしてルルーシュは、ある意味、ナナリーという実妹の存在を、綺麗な子供の頃の思い出だけを残して己の中から断ち切ったのだった。

── The End




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