続・切り捨て




 エリア11総督であるナナリーの提唱した“行政特区日本”は、失敗に終わったといっていい。
 かつての虐殺皇女ユーフェミアの提唱したものと同じ“行政特区日本”を、イレブンたる日本人たちは信じなかった。そこには、副総督として赴任してきたナナリーの兄であるルルーシュによる政策によるところも大きい。
 ナナリーはユーフェミアの提唱した“行政特区日本”を、ただ素晴らしいものだと思うだけで、ユーフェミアが唱えたままに再建しようとしたため、その特区の抱える問題について考えたこともなかった。その政策の穴に全く気付いていなかった。そのようなこと、考えてもいなかった。そしてまた、エリア11内に住まうブリタニア人が、そして肝心のナンバーズであるイレブン、すなわち日本人がどうとらえているのかも、考えたことがなかったのである。
 結果として、特区に集まったのは問題を起こして、租界はもちろん、ゲットー内にいるのも問題があるような者ばかりであり、イレブンの信頼を得ることが出来なかったために、集まったのは極僅かだったのだ。
 そもそも総督就任会見において「自分は何も出来ない」などと平気で公言する人間を、一体誰が信用し、そしてその政策に期待を寄せるだろうか。
 そしてナナリーが行ったのは“行政特区日本”の提唱だけであり、それ以外の、本来為すべき執務を取り仕切っていたのは、ルルーシュが副総督として赴任して来る前までは、総督であるナナリーの側近たるローマイヤをはじめとする文官の官僚たちであり、ナナリー自身は本来の執務に関しては殆ど丸投げ状態といってよかった。加えて、イレブンのためにならないような政策は認めないと、何もしないにもかかわらず、それだけは必ず口にして、ローマイヤたちの出してきた政策を否認だけしてきていた。そんな総督に仕えることを心から良しとする臣下などいはしない。
 そんな状態のところへやって来たのがルルーシュであり、彼は臣下たる官僚たちの不満や、実際に必要な、本来ならばナナリーが行うべき執務を取り仕切った。となれば、臣下たちの評価は必然的にルルーシュに軍配があがる。ましてや執務能力だけではなく、皇位継承権、後見者の立場からして、副総督という、総督であるナナリーより下とはいえ、事実上はルルーシュがエリア11の統治者といって差し支えない状態である。
 ナナリーは政庁の中では殆ど孤立無援といえる状態だった。彼女にとって自分の味方といえるのは、総督補佐としてやって来ているラウンズのセブンである枢木スザク一人きりといえた。
 そしてまたスザクも、ナナリー同様、何も理解(わか)ってはいなかった。かつて自分が騎士となったユーフェミア。その彼女の提唱した“行政特区日本”。しかし、その特区はエリア11最大のテロリスト組織である黒の騎士団、そのリーダーたるゼロのために失敗に終わった。
 スザクはユーフェミアの唱えた特区の理想論だけしか見ず、その特区の持つ穴も、意味合いなども何も考えてはおらず、ただ素晴らしいものだと賛美していただけだった。故にナナリーが特区を再建すると唐突に発言した際も、かつてユーフェミアの唱えたものをナナリーが今度こそ再建しようとしているのだと、ただ賛同するだけで、他のブリタニア人やイレブンが特区をどう捕えているのかなど、かつての主同様に、そして再建すると言ったナナリー同様に、考えもしていなかった。
 ましてや本人には今はその記憶はないが、ルルーシュこそが、ユーフェミアの特区を失敗させ、彼女を虐殺皇女としたゼロ本人であることをスザクだけは知っている。ルルーシュを、彼のすることなど認めることなど出来ない、許すことは出来ない。スザクの思いはそれに尽きていた。
 そしてそのルルーシュは特区を愚策と言い切り、総督であり実の妹でもあるナナリーに何ら協力するところがない。それがスザクの思いに拍車を掛けている。
 しかし周囲の人間のルルーシュに対する評価は、スザクのそれとは全く異なる。
 総督が投げ出した、本来総督が為すべき執務をこなし、租界を、そしてゲットーを整備し、矯正エリアとなったエリア11をよりよい方向へ、衛星エリアへと導こうとしている存在であり、文官はもちろん、軍人たちからすらも、従うべきはナナリー総督ではなく、ルルーシュ副総督、という認識が既に出来てきている。ナナリーの一番の側近であるローマイヤですらそうなのだ。そんな状況の中、スザクの総督補佐などという立場は一体何なのか。最早、無用のものでしかない。
 誰も、ナナリーはもちろん、スザクの言葉など聞き入れはしない。その場は聞いているふりはしていても、実際にはルルーシュに伺いを立てるという状況になっているのだ。
 そんな中、必然的にエリア11の現状は本国に知れるところとなる。
 そうして本国から新たな人事が発表された。
 すなわちルルーシュの副総督から総督への昇進と、ナナリーの総督解任、スザクの総督補佐解任である。
 そこにはエリア11の現状はもちろんのこと、ルルーシュの後見となっている第1皇子オデュッセウスや第7皇子クレメントの存在も影響していた。
 総督を解任されたナナリーは、本来ならば即刻本国帰還だっただろう。しかし、ルルーシュの実妹ということで、そのままエリア11に留まることは許された。ただし、本当にルルーシュの妹という事実のみからくることで、そこには何の権限もない。
 そしてスザクは黒の騎士団の残党をはじめとする、エリア11に未だ残るテロリストに対抗する存在としてのみであった。
 そう、ナナリーにもスザクにも、最早エリア11の内政に関して口を挟む権利など一切なくなったのだ。
 そんな人事をナナリーもスザクも容易には受け入れがたかった。
 それでもナナリーは、己の“行政特区日本”の再建という政策を否定されたとはいえ、兄ルルーシュの傍にいられるならば、という思いが僅かに救いになってはいた。
 しかしルルーシュがゼロであることを知るスザクにとっては、悔しさしかなかった。
 ゼロとしての、そして皇族としての記憶を奪われ、一市民として、C.C.という魔女を釣るための餌としてこのエリアで過ごすはずだったルルーシュ。万一記憶が戻った場合には、ゼロとして粛清出来る対象だったはずのルルーシュ。ところが今、現実にはルルーシュは記憶はないままではあるが、エリア11の総督となり、スザクは跪かねばならぬ存在となっている。



 総督となったルルーシュの私室を、深夜、密かに訪れる存在があった。
「で、黒の騎士団はどうするつもりだ?」
 そうルルーシュに問い掛けたのは、ライトグリーンの長い髪と琥珀色の瞳を持つ一人の少女。それこそ、スザクが、皇帝シャルルが求める魔女── C.C.── だった。
 ルルーシュが総督となって間もなく、C.C.はルルーシュに接触し、彼の記憶を取り戻させていた。スザクはもちろんのこと、黒の騎士団の残党にも気付かせぬうちに。
「正直、総督となった今の俺にとっては何の価値もないな」
 少し考えてから、ルルーシュはそう返した。
 一般市民としてあった時には、ブリタニアに対抗するためには他に方法はなかった。しかし今のルルーシュはエリア11の総督だ。ブリタニアの内側に入り込んでいる状態。そして、母マリアンヌを亡くし弱者として開戦前の日本に留学と言う名の人質として送り込まれた時とは違う。オデュッセウスとクレメントという、自分よりも上位の皇族の後見を得ている。妹のナナリーは身体障害を抱えることから弱者でしかないが、ルルーシュは違う。その執務能力を買われ、ナナリーに代わって総督という立場に立ってしまったのだ。ちなみに、.ローマイヤは今ではルルーシュの優秀な側近の一人として、その役目を果たしてくれている。
 外から変えるしか道がなく、C.C.から得た絶対遵守のギアスという力をきっかけとして、黒の騎士団というテロリスト組織を纏め上げて活動していた時とは立場が違う。
 内側から変える── かつて事ある度に── いや、無くても── 口にしていたのはスザクだった。もっともスザクはブリタニアのことを何も理解せず、出来ようはずがないことを出来ると信じ込み、理想論に燃えていただけで、傍から見れば、何を馬鹿なことを言っているのだ、としか受け止められなかったが、いみじくも、現在のルルーシュはブリタニアを内側から変えることが可能な立場に立ったのだ。むろん、真にブリタニアを変えるにはシャルルに成り代わるしかないということは分かっている。シャルルが皇帝としてある限り、現在の弱肉強食を唱えるブリタニアが変わることなどないだろうことは理解している。それでも内側にいればこそチャンスを手に入れることが出来るかもしれないのだ。ましてやシャルルが求める存在は、己の傍にいる。C.C.は何も告げないが、シャルルが望む何かのために彼女の存在が必要なこと、しかし彼女は既にシャルルと異なる道を選択していることは察している。
「とりあえずは、このエリア11を早く衛星エリアにして、皇室内における俺の立場を強化してより中央へと向かうことだな。それには黒の騎士団の存在は寧ろ邪魔だ」
「邪魔なのは黒の騎士団だけではないだろうに」
 ルルーシュの言葉に、くくくっ、とC.C.は笑った。それを否定する気のないルルーシュも、口角を上げて微笑(わら)った。
 ナナリーが愛する妹である事実に変わりはない。そしてまた、ブリタニアに戻れば、皇女とはいえ、弱者であることに変わりはない。ましてや今のナナリーはエリア11の総督として失敗した、落伍者の烙印を押された状態だ。役立たずの弱者でしかないのだ。しかし、少なくとも自分の手元に置いておける間は、以前のようにナナリーを守ることは可能だろう。ただ、以前と全く同じようにではなく、彼女に現実というものを知らしめる必要性は十分なくらいに理解している。そう、かつてと同じようにとはいかない。総督としてエリア11にやって来た彼女に何が足りなかったのか、何を知る、やる必要があったのか、現実を認識させなければならない。ただ守っているだけでは、ナナリーは何も知らない無知のままで終わってしまうのを、今のルルーシュは理解している。
 そしてもう一人の問題、枢木スザク。総督補佐の立場は解任されたとはいえ、皇帝の騎士たるラウンズに連なる彼を、ルルーシュがどうにかすることは出来ない。もっとも総督補佐解任ということで、スザクもまた、ラウンズの立場にあるままとはいえ、これまでのようなわけにはいかないだろうが。エリア11に赴任して来る前と同じように、EU戦線に放り込むことで厄介払いでもしようか、とも考える。ゼロのいない今のイレブンのテロリスト殲滅に、そう何人もラウンズは必要ない。いや、何人もどころか、一人も必要ない。優秀な軍人が揃っていればそれで充分だ。それとなく本国に打診してみようかともルルーシュは考える。
 ルルーシュの存在を否定し、ルルーシュを皇帝に売ってラウンズとなったスザク。
 ならば今度は自分がそのスザクを必要ないと、その存在を否定してみようか。実際そうでしかないのだが、そうしたら、スザクは一体どんな顔をするだろうか。
 今のスザクには、騎士候、ラウンズの一人である、ということしかない。他には何の権限もないのだ。皇帝の騎士、臣下としては帝国最高位たるラウンズとはいえ、所詮は臣下に過ぎず、国の政策に関与することなど出来はしないのだから。それを理解しないままのスザクは、果たしてどう思うだろうか。ユーフェミアを殺したルルーシュを、誰よりも憎んでいるスザクは。
 今後のことを思案するように目を伏せて考え込むルルーシュを、C.C.がその傍らでただ黙って見つめている。

── The End




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