その日の朝、目覚めた時、ジェレミア・ゴットバルトは夢を見ているのかと、あるいは見ていたのかと思った。
室内にあるカレンダーが、そして手にした携帯に表示されている日付は、現在の自分の記憶の中では、明らかに遥かに前のものだ。しかし同時に、鏡に写る自分の顔は、明らかにその日付当時のもので、まだ若かった。
一体自分の身に何が起きているのか、ジェレミアには分からなかった。
分かったのは、自分が守りきることの出来なかった皇帝シャルルの第5皇妃マリアンヌの遺児であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとナナリー・ヴィ・ブリタニアの二人が、留学という名の人質として日本に送られ、その日本に対してブリタニアが戦争を仕掛けるまで僅か一週間ということだけだ。
記憶の中、自分が唯一の主として認めたルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。彼はゼロ・レクイエムと呼ばれる計画の元、己を世界の人柱として死んでいった。それは決してジェレミアの納得したところではなかったが、それでも主が望んだことと黙って受け入れた。
今のままいけば、そして自分の中に存在する記憶が確かなら、ブリタニアは日本に侵攻し、日本はブリタニアの11番目の植民地となる。そしてその中、ヴィ兄妹はマリアンヌの後見だったアッシュフォード家の庇護の下、皇室に戻ることなく一般庶民として暮らしていくことになる。だがその先に待っているのは、ルルーシュがギアスという異能を授かり、ブリタニアに対する反逆者となり、そして最期は、僅か18歳という年齢で、自ら世界の明日のための人柱として死んでいくということだ。
ジェレミアは考えた。自分の身に起きたことを。そして自分は何をしたいのかを。
自分が唯一の主と認めたルルーシュ。その彼をあんなふうに死なせたくはない、そうジェレミアは強く思った。そして今ならまだ間に合うのではないかと。
ブリタニアが日本に侵攻する前に、ルルーシュを今いる日本から連れ出し、ブリタニアでも日本でもない別の国、例えばそう、EUの何処かの国に連れ出して、それこそ本当の一般庶民として過ごさせてやることが出来るのではないか。そうすればルルーシュはあんなに若くして、あのような惨い死にざまを曝すことも、汚名をもって罵られ続けられることもなくて済むはずだ。
ジェレミアは己の中の記憶と現状とを比較して、一体どうすることが一番よい方法なのか、自分は何を為すべきなのかを考え、一つの結論を下した。
日本に行き、ルルーシュを救い出すと。
その結論を出してからのジェレミアの行動は早かった。
所属する軍に除隊届を出し、実家にブリタニアを離れること、自分のことは死んだと思って忘れて欲しい旨の連絡を入れた。もちろん軍でははっきりとした理由もない突然の除隊届に慰留をされたし、実家からは何を考えているのかと叱りの言葉も受けた。だがそれでも、ジェレミアは唯一と決めた主を救うことを選んだ。
そして簡単に荷物を纏めると、官舎を後にした。まだ正式に除隊を認められてはいないが、今のジェレミアには時間が惜しかった。少しでも早く、主たるルルーシュの元に辿り着き、現状から救い出したいとの思いしかなかった。
ジェレミアは日本行きで一番早く取れる飛行機のチケットを手配すると、ブリタニアに別れを告げた。
日本に降り立ったジェレミアは、記憶の中のエリアとなった日本との違いにまずは驚いた。
記憶の中、ジェレミアが日本に来たのは日本がエリアとなった後、租界が整備された後のことで、そうなる前、つまりブリタニアの侵略を受ける前の日本についての知識は殆どなかった。故に、記憶の中のエリア11となった日本と現在の日本とのギャップに驚いた。
そして日本人のブリタニア人への差別。それはジェレミアが空港に降り立った時からの、突き刺さるような視線に見てとることが出来た。日本語は殆ど分からないが、それでも微かに聞こえてくる、明らかに侮蔑してのものだろうと思われる「ブリキ野郎」との声。
こんな状態の中でルルーシュ様は生きておられたのかと、改めて一刻も早く救い出さなければ、日本から連れ出さなければ、との思いが強くなった。
ルルーシュたちヴィ兄妹がいるのは、首相である枢木ゲンブ所縁の枢木神社だ。
ジェレミアは空港の観光案内所で地図を手に入れた。枢木神社に辿り着く方法を確かめるためだ。そこに行きつくことが出来なければ、自分が日本にやって来た意味がない。
地図を片手に枢木神社へのルートを探し、周囲から自分に対して向けられる視線や侮蔑の言葉を無視して、とにかく一刻も早くルルーシュの元へ辿り着くことだけを念頭に置いて行動した。
そうして辿り着いた枢木神社の長い階段の下で、ジェレミアは、一人の少女と出会った。
「ジェレミア・ゴットバルトか」
少女は迷うことなくジェレミアの名を呼んだ。
「C.C.」
自分の中の記憶を辿り、ジェレミアはその少女の名を呼んだ。
主たるルルーシュが、己の唯一の共犯者と呼んだ、ライトグリーンの髪と琥珀色の瞳を持ち、自らを魔女と言っていた少女。
「おまえ、記憶があるな?」
確信めいたように、少女はジェレミアに問い掛けた。
「……君もか、C.C.?」
C.C.と呼ばれた少女は頷いた。
「今、ルルーシュはいない。買い物にでも出掛けているようだ。で、おまえは何をしにここに来た?」
「決まっている、ルルーシュ様を救い出すため。ルルーシュ様にあのような死に方をさせないためだ」
「ならば、考えていることは同じだな」
その言葉に、今自分の目の前にいるC.C.もまた、自分と同じくルルーシュを救い出すためにここに来たのだと知れて、ジェレミアはほっと息を吐き出した。
二人はルルーシュが買い物に出たのだろう方向に共に歩き出しながら話をした。
「それで、おまえはルルーシュのことをどうするつもりで来た?」
「EUにでもお連れするつもりだ。そうすれば、戦火に追われることもなく安全な日々を送ることが叶うのではないかと」
「そうだな、EUあたりならば、まだ場所を選べばブリタニアの手は届かない」
そんなふうに話し合っているうちに、二人の前にある光景が目に入ってきた。
日本人の数人の子供たちが、道に倒れ込んだ子供に対して殴る蹴るの暴行をしている。
「何をしている!」
ジェレミアは思わず叫んでいた。
子供たちは突然の大人の出現に驚き、言葉は分からぬまでも、その子供たちの中のリーダーと思われる者の合図にその場から慌てるように去っていった。
その様を見やりながら、ジェレミアは地に倒れ伏した子供に視線を移した。倒れているのは10歳くらいの黒髪の子供だった。
「ルルーシュ様!?」
「ルルーシュ!」
ジェレミアとC.C.は慌てて倒れている子供に駆け寄り、ジェレミアはその子供を抱き起した。
「ルルーシュ様!」
再度のジェレミアの呼び掛けに、躰のそちこちにあざをつくり、血も流している傷もある子供の閉じていた瞳が開いた。それは紛れもなくルルーシュのロイヤル・パープルと呼ばれる紫電の瞳だった。
「だ、れ……?」
「ジェレミア・ゴットバルトです、ルルーシュ様」
「ルルーシュ?」
呼ばれた子供は、瞳を彷徨わせた。
「……ルルーシュ、って、僕の、名前?」
「ルルーシュ、もしかしておまえ、記憶がないのか?」
C.C.が尋ねた。
ルルーシュの頭部にも殴られたのか瘤が出来ている。それが原因で記憶を失っているのか。自分たち── ジェレミアとC.C.── がこれから先の記憶を持ってここに来たことで、ルルーシュの過去に、つまりは現在にだが、何か影響が出ているのかもしれない。二人はそう思った。
「記憶? 僕……、僕は、誰? 貴方たちは、僕のことを知ってるの?」
不安そうにそう呟くルルーシュを腕にしたジェレミアは、C.C.と視線を合わせ、少ししてC.C.が答えた。
「おまえの名はルルーシュ。ルルーシュ・ランペルージ。私たちはおまえを迎えに来たんだ」
「ルルーシュ── それが、僕の名前」
ルルーシュは確かめるように呟いた。その名は自然と馴染んだが、それが自分の名前だという確証は得られなかった。しかし二人が自分に嘘をついているとは思えなかった。
「僕を、迎えに?」
「そうです、貴方をこの日本から連れ出して安全な場所へお連れするためにやってきました」
ルルーシュの問いに答えたのはジェレミアだ。
「この国はもうすぐブリタニアという国の侵略を受けることになります。その前に貴方をここから救い出すためにやって来たんです」
ジェレミアが告げたブリタニアという名に、ルルーシュは我知らず怯えた。何か得体の知れない怖さを感じた。
ルルーシュは、 何も分からぬ今は、その感覚を素直に受け入れることにした。耳慣れぬ、けれど確かに馴染んだ、己の名だというルルーシュという響き。そして自分を見つめる、とても嘘をついているとは思えない真剣な眼差しの二人。
ジェレミアの腕の中から起き上がろうとして、ルルーシュは、うっ、と呻いた。
「ルルーシュ様!」
「無理をするな、ルルーシュ」
ルルーシュを気遣う言葉に、彼は二人を信じてもいいのかもしれないと思った。何よりも、目の前の二人は自分の知らない自分を知っている。
ルルーシュはそのままジェレミアの腕に抱き上げられた。
「僕の、家族、は?」
「……いない」
「いない?」
「おまえの父はおまえを見捨て、母は殺された。おまえは一人きりだ」
そう答えたのはC.C.だった。その言葉にジェレミアは目を見張ってC.C.を見やったが、今のルルーシュに彼の妹のナナリーのことを教えるのは、必ずしも得策ではないといった感じで、ルルーシュに家族はいないと告げたC.C.の思惑を察したジェレミアは、彼女の言葉を肯定するように頷いた。
ルルーシュの実妹であるナナリーは、ルルーシュにとっては負担でしかない。その上、ジェレミアとC.C.の記憶の中のナナリーは、兄に注がれた愛情を忘れたかのように自国の帝都であるペンドラゴンに大量破壊兵器フレイヤを投下して大虐殺を働き、さらにはルルーシュに対して敵対発言をした少女だ。そしてそれを別にしても、記憶のないらしい今のルルーシュにとっては、その存在は重荷にしかならないだろうと察せられた。
それにナナリーという存在がなければ、ルルーシュはブリタニアへの反逆を考えることも、あんな死に方を選ぶこともなかっただろう、自分たちはずっと一緒にいられただろうという思いが、二人の中にあることは否定しきれない。
もしかしたら記憶がないのは一時的なことで、いつか思い出した時、ルルーシュは二人を責めるかもしれない。しかし今の二人にとって大切なのはルルーシュの存在だけで、全くとは言わないまでも、ナナリーは関係ないのだ。
「直ぐにここを離れましょう、ルルーシュ様」
「……どうして貴方は、子どもの僕にさっきから敬語を使ってるの?」
「それは、貴方が私が仕えるべきただ一人の主だからです、ルルーシュ様」
「主?」
「はい」
真っ直ぐにジェレミアの顔を見上げながら尋ねてくるルルーシュに、ジェレミアは躊躇いなく答えた。
「急ぐぞ、ルルーシュ。他の者に見つかると面倒だ」
「面倒って、何が?」
ルルーシュはC.C.を見つめながら尋ねた。
「おまえはブリタニア人で、今この日本とブリタニアは緊張関係にある。いつ戦争状態に入ってもおかしくない。だから私たちはおまえを保護して安全なところに連れ出すためにやって来たんだ」
直前の、何人かの子供たちに取り囲まれて殴る蹴るの暴行を受けていた記憶だけは微かに残っていたルルーシュは、では彼らのあの行動はそれ故なのかと納得した。
「さあ、早くここを離れよう。私たちはおまえを救いたいだけだ。そのためだけに私たちはここに来たのだから」
C.C.の真剣な物言いに、ルルーシュはジェレミアの腕の中で頷いた。そう言えば、まだ彼女の名前を聞いてなかった、と思いながら。
それから三人は、C.C.がルルーシュのためにあらかじめ用意していたという偽造パスポートを使ってEUへ、イギリスへと飛んだ。
ルルーシュに記憶の戻る気配はない。
そしてジェレミアとC.C.の二人に見守られながら、子供らしい日々を過ごしている。彼らが住まいとしているアパルトメントの近所の子供たちと親しくなり、学校に通いながら、妹のナナリーのこともすっかり忘れたままに屈託のない日々を送っている。
イギリスでの生活に慣れた頃、日本がブリタニアに侵略され植民地となったことを知ったルルーシュは、あのまま日本にいたら戦火に巻き込まれて大変なことになっていたのだと思い、改めて自分をそんな日本から連れ出してくれた二人に感謝した。
ブリタニアに侵略されエリアとなった日本で、ルルーシュの妹のナナリーがどうなったのか、記憶のないルルーシュはもちろん、ジェレミアもC.C.も知らない。ルルーシュがいない以上、アッシュフォード家とて何処までナナリーを保護するか知れたものではないが、ルルーシュのことのみを思うジェレミアにとってもC.C.にとっても、ルルーシュにとって重荷でしかなく── ルルーシュ自身はそんなことを思ったことはなかっただろうが── 負担を、苦労を強いるだけの存在でしかなかったナナリーの存在は、殆ど気に留めることはなかった。ただ、ルルーシュが普通の一人の人間として、あのような不幸な死に方をせずに一生を過ごせることだけが、今の二人の望みだ。
ルルーシュは二人の思惑に気付くこともなく、記憶のないことに時折不安を覚えながらも、二人の庇護の下、時折ニュースにあがるブリタニアのことを気に掛けながらも、何処にでもいる子供らしい日々を楽しそうに送り、そんなルルーシュを、ジェレミアとC.C.の二人は満足そうに見つめているのだった。
── The End
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