決闘の後 後日談




 そこ── セレンバーグ病院── はトウキョウ租界の中でも有数の病院であった。そして外聞的には知られていないが、病院の建設に当たってはアッシュフォード家が出資しており、実質的なオーナーといえる。アッシュフォードがその病院を建てたのは、彼らが匿う至宝二人のためである。軽いものならばいい、けれど万一のことがあった時のことを考えれば、それなりの設備を整えた場所を用意しておくに限る。そう考えてルーベンが手を回したのだが、それなりの設備となれば必然的に規模も大きくなり、それはハードだけではなく、ソフト、つまり人材的にも揃ったものとなり、結果的に貴族や資産家たちをはじめとした患者が多く訪れるようになり、それはそれでルーベンにとっては思惑外の、大きくはないが確かな頭痛の種の一つとなってた。もっともその反面で、経営的には助かっている部分があるのも事実だが。
 そしてお忍びでエリア11にやってきていた第7皇子クレメントが、過日、ユーフェミアの騎士であった枢木スザクとの一悶着の末に負傷して運び込まれた先が、このセレンバーグ病院だった。
 その日はクレメントの負傷がほぼ治癒し、退院する日だった。もともとお忍びであったこともあって、傍にいるのはクレメントの騎士一人と、院長のセレンバーグ、担当医、そして二人の看護師だけだった。
「今回は迷惑を掛けたな」
「もったいないお言葉にござます、殿下」
 セレンバーグに一声掛けたクレメントに、彼は深く頭を下げながら応えた。
「そう仰々しくするな。今回はあくまで忍び、私的な行為の結果だ。あまり大事(おおごと)にしてほしくない」
「はい」
「治癒したとはいえ、暫くはあまり無理をなさいませんように」
 セレンバーグは頷き、それに担当医が言葉を続けた。
 病院の正面玄関を出たところでの遣り取りで、周囲には他にも人がいたが、彼らの遣り取りは小声であったためにその内容までは漏れてはいなかった。それを目にしていた周囲の人々は、院長自らきていることや、退院する患者と思しき人物の様子から、それなりの身分の方なのだと判断しているに過ぎない。
 そして院長たちの見送りを受けて、クレメントが己の騎士と共に辞去しようとしたところで、出入口の自動扉が開いて一人の高校生くらいと思われる少年が中から出てきた。
 その少年── ルルーシュ── の足が止まった。
 ルルーシュは数日前から軽い風邪の症状を覚え、薬局で購入した薬でどうにかなるだろうと思っていたのだが、意に反して風邪はなかなか治らず、ナナリーや咲世子の強い勧めで、今日、病院に足を運び、診察と薬の処方などを終えて出てきたところだった。
 クレメントとルルーシュ、二人の視線がばっちりとあった。あってしまった。
 そしてルルーシュは、相手の顔にしっかりと見覚えがあった。もちろん最後の記憶よりずっと大人になっていたが。
 ── ク、クレメント異母兄上(あにうえ)……?
 本国にいた頃、ルルーシュにとってクレメントは、然程親しくしていた間柄ではない。だが母親であるマリアンヌが庶民出であるということで、決してルルーシュやナナリーを貶めたりなどはしていなかった。故に然程悪感情を抱いていた相手ではない。親しくはなかったが、しいて言えば多少は好感情の方が強かったように記憶している。ルルーシュたち兄妹への、血筋からの分け隔てのなさ故に。
 クレメントの眉が顰められる。何処か見覚えのあるような気がする少年。クレメントは己の記憶の底をさらった。そして一人の子供の面影が脳裏を(よぎ)る。
「失礼します」
 頭を垂れながら足早に彼らの脇を通り過ぎようとするルルーシュの腕を、クレメントが思わずといった感で掴んでいた。
「待ちなさいっ!」
 ブリタニア人には珍しい漆黒の髪、白磁の肌、そしてロイヤル・パープルとも呼ばれる紫電の瞳。その容貌の中に、クレメントは懐かしい子供の面差しを見つけていた。
 腕を掴まれ思わず振り向いた少年の瞳の中には、あからさまではなかったものの確かに怯えのようなものが窺え、それがさらにクレメントの思いを強くさせた。
「ルルーシュ、か……?」
 疑問形ではあったが、確かにクレメントの口から紡がれたその名に、クレメントの腕が掴んでいた彼の腕が震え、その顔色が蒼褪めるのが分かった。その様にクレメントは己の勘があっていたことを理解した。
「院長、すまないが何処か部屋を借りられないか?」
 クレメントはルルーシュの腕を掴んだまま、セレンバーグに問い掛けた。皇族の依頼に否と答えられる者はいない。
「直ぐに用意させます。暫しお待ちください」
 クレメントはセレンバーグの答えに軽く頷くと、看護師の一人と共に再び病院の中に戻った。もちろん、その間クレメントはルルーシュを掴んだ腕を離したりなどしていない。
 ややして看護師の一人が「用意が出来ました」と告げて、クレメントたちを事務棟にある小さな会議室に案内した。
 その間、クレメントもルルーシュも互いに一言も口を開くことはなかった。
 彼らを案内した看護師が去り、クレメントとその騎士、そしてルルーシュの三人になってから、漸くクレメントが口を開いた。
「ルルーシュ、生きていたのだな」
 クレメントの言葉は既に問い掛けではなかった。
 ルルーシュはクレメントから顔を背けたまま、一言も発しない。その様に、クレメントは深い溜息を吐いた。
 どのようにしてあの戦火から生き延びたのかは分からなくても、何故ルルーシュが本国に戻ってこなかったのかはクレメントも容易に想像がつく。
 母を殺され、唯一の後見であったアッシュフォード大公爵家もなくし、弱者となって障害を持った妹と二人して追いやられた、今はエリア11となったかつての日本。
 生きていました、無事でしたと名乗り出ても、また利用されるだけなのは幼くとも聡明なルルーシュには分かりきっていたことなのだろう。故にルルーシュはこのエリアで隠れて生きることを選んだのだと、クレメントには理解出来た。そしてそのルルーシュの選択を、彼の立場を考えれば否定は出来ない。
「ナナリーも無事か?」
 その問い掛けに、ルルーシュは顔を背けたまま、それでも頷いた。
「皇室に戻る気はないのだな? このままこのエリアで、一般人として生きていくつもりなのだな?」
 確認するかのような問いに、ルルーシュはゆっくりとクレメントに顔を向けて一言答えた。「……はい」と。
 そういえばこのトウキョウ租界には、かつてヴィ家の後見だったアッシュフォードの建てた学園があったなと、クレメントはくる前に調べていたことを思い出した。そしてそこから、今もなおアッシュフォードはヴィ家の者を守り続けているのだと、充分に察することが出来た。
「そうか。ならば私からは誰にも何も言うまい。これにも」己の騎士を見やり「何も言わせぬ」
 クレメントのその言葉に、ルルーシュはハッとしたように顔を上げた。クレメントの騎士も、主の言葉に黙って頷いた。
「無事に生きていてくれたならそれだけでいい」
 そう告げながら、クレメントは異母弟(おとうと)の躰をそっと抱き寄せた。
「もうこのようにして会うこともあるまい。元気でな。おまえたちの幸せを祈っているよ」
「……異母兄上……」
 決して親しくしていたわけではない。けれど異母兄(あに)にそのように言われて、抱き締められて、ルルーシュの瞳が微かに潤む。
 やがてルルーシュへの抱擁を解いたクレメントは、「ではな」とだけ軽く告げて、己の騎士と共に会議室を出ていった。
 一人残されたルルーシュは、微かに残るクレメントの抱擁の温もりを確かめるように己の躰をその両腕で抱き締めた。
 何も聞かず、言われずとも、己を異母弟のルルーシュと、そしてその意思、選択を理解してくれた異母兄クレメント。
 現在のルルーシュは、表ではルルーシュ・ランペルージとしてアッシュフォード学園高等部の生徒、それも生徒会副会長という立場と、裏ではブリタニアに反逆する黒の騎士団を率いる仮面のテロリスト── ゼロ── という二つの顔を持つ。
 けれど今この時だけは、既に捨てたはずの、死んだこととなっているルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに戻っていた。それはクレメントの温もりが消えるまでの、ほんの僅かの間のことであったが。

── The End




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