記憶の壁




 政庁からシュナイゼルによって連れ出されたルルーシュは、現在シュナイゼルが宿泊しているトウキョウ租界随一のホテルのVIPルームに通された。
 その間、シュナイゼルはずっとルルーシュの手を握ったままだ。
 そして同じ間、ルルーシュはシュナイゼルに人違いだと言い続け、シュナイゼルはそんなことはないと返し続けた。
 押し問答を続けたまま連れてこられた部屋の内装に、ルルーシュは目を見張る。ごくごく普通の一般庶民の自分では到底入ることの出来ないような部屋のその豪華な内装に、ルルーシュはただ唖然としていた。
「何をぼうっとしているんだい。ルルーシュ、とにかくそこに座りなさい」
 漸くルルーシュから手を放したシュナイゼルの言葉に、ルルーシュは促されるまま傍のソファに腰を降ろした。
「ルルーシュ、本当に覚えていないのかい、君の異母兄(あに)である私を」
 シュナイゼルの言葉に、ルルーシュは漸く現実に戻ってきたかのように一度瞬きをした。
「あの、ですから俺、いや、私は確かにルルーシュという名前ですけれど、私には弟だけで兄はいませんし、ましてやシュナイゼル殿下が私の兄だなんて、そんなことありえません、人違いです」
「弟? 妹ではなく?」
 シュナイゼルは眉を寄せて確認するようにルルーシュに問い返した。
「は、はい。3歳下の弟が一人いるだけで、妹はいません」
 ルルーシュがそう答えた時、ホテルのメイドというより、宮殿に仕える侍女といった雰囲気の女性がトレイを持って部屋に入って来た。
 女性は先にシュナイゼルの前に、次いでルルーシュの前に紅茶を淹れたカップと、ルルーシュの前には茶請けの菓子としてイチゴの乗ったショートケーキを置き、一礼して退室していった。
「冷めないうちに飲みなさい。ケーキも遠慮することはない」
「は、はい」
 ルルーシュは上目遣いにシュナイゼルを見ながら、カップに手を伸ばした。
 帝国宰相であり第2皇子でもあるシュナイゼルに見つめられながらのそれに、ルルーシュは緊張しながらもカップに口を付けた。
 そんなルルーシュの様子を見ながら、シュナイゼルは考え込むように顎に手を当てた。
 今自分の目の前にいるルルーシュ・ランペルージが、異母弟(おとうと)であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに間違いはないとシュナイゼルは思っている。
 最初は、皇室から隠れるためにランペルージと名乗っているだけなのだろうと思った。しかし、ここに来るまでの態度からしてただ偽名を名乗って演技をしているというようにはとても思えない。
 考えられることは一つ、記憶を失っているということだ。
 しかしそれにしては府に落ちない点がある。暫く前に、どうやってか本国に一人戻って来たナナリーは、ブラック・リベリオンが始まる前までルルーシュと一緒に過ごしていたと言っていた。ならば、弟がいるとはどういうことだ。何処から出てきたのだ、その弟とやらは。
「あの」
 掛けられた声にシュナイゼルは、はっとしたようにルルーシュを見た。
「ごちそうさまでした」
 すっかり考え込んでしまっていたようで、その間にルルーシュは出された物を綺麗にしていた。
「ああ、美味しかったかい?」
「は、はい。それで、もうそろそろ帰らないと、弟が心配すると思うので……」
 帰るというルルーシュの言葉に、シュナイゼルは片眉を上げた。
「殿下?」
 何が気に障ったのだろう、帰るといったことだろうかと思いながら、ルルーシュはシュナイゼルに呼び掛けた。
「今日はここに泊まっていきなさい、学園の方には連絡を入れておく」
「えっ!?」
 シュナイゼルの言葉に、ルルーシュは目を見開いた。
「泊まっていきなさい、ルルーシュ」
「そんな、俺っ……」
「ルルーシュを寝室へ。今夜は決して外に出さないように」
「イエス、ユア・ハイネス」
「部屋の隅にいた数名のSPの内の二人が、ルルーシュに近付いて来たかと思うと、それぞれに彼の腕を取った。
「シュナイゼル殿下! 俺を帰してください、ずっと人違いだって申し上げて……!」
 シュナイゼルはルルーシュの言葉にとりあわず、ルルーシュは二人のSPの手によって、このVIPルームに三つある寝室の一部屋へと連れていかれた。寝室の中に押し込まれるようにして入れられ、ルルーシュが慌てて出ようとする前に、SPによって扉は閉められて、ルルーシュがどんなに声を上げても、叩いても、その扉が開けられることはなかった。



 それから数時間後、シュナイゼルの副官のカノンがシュナイゼルの元に戻って来た。
 シュナイゼルはカノンにアッシュフォード学園と、そこに在籍するルルーシュ・ランペルージについて調べさせていたのだ。
「どうだった?」
「ルルーシュ・ランペルージ、アッシュフォード学園高等部3年、生徒会副会長。家族は3歳下のロロという名の弟が一人」
 そう告げてから、一枚の望遠カメラで撮ったと思われる写真をシュナイゼルに手渡した。そこには、何処かしら異母妹(いもうと)のナナリーに似た印象のある少年が写っている。
「戦前から日本に家族揃って滞在しており、終戦間際に両親が死亡、その後、両親の知人であったアッシュフォード氏が二人を引き取り後見役となって庇護していると、そういうことになっています」
 シュナイゼルはカノンのその物言いに目を細めた。
「学園を調べさせたところ、機密情報局に籍を置く者が複数名、確認されました」
「機密情報局?」
「その他にもおかしな点が幾つか。ブラック・リベリオン前のロロ・ランペルージの存在を証明するものがありません。学内にはあるのかもしれませんが。また、あれだけの騒動の後、ということを抜きにしても、生徒の入れ替わりが激しすぎます。まるで何かを隠すために入れ替わったような、そんな印象を受けました。
 そして電波の発信状況から、学園内に多数の盗聴器などが設置されているおとが判明いたしました」
 暫くの間をおいて、シュナイゼルは口を開いた。
「やはり、ルルーシュか」
「おそらく」
「だが何故だ? それに一体どうやって……」
 そのままシュナイゼルは考え込んでしまった。
 どうやってルルーシュの記憶を弄った? 似ている印象があるとはいえ、見知らぬ少年を弟と思い込むなど有り得ない。催眠術か? だいたいその弟とは一体何者なのだ。それに何故皇帝直属の機情が動いている?
 疑問は却って膨らむばかりだ。
 ブラック・リベリオンの後、ルルーシュの身に一体何があった?
 全てはそれに尽きた。それが分かれば、現状の回答が得られるはず。しかしそれに応えられる者はいない。
 その時、室内にある電話の呼び出し音が鳴った。
 カノンが受話器を取ると、若い女の声が流れてきた。
『ルルーシュの記憶のことで話がある。シュナイゼルと代われ』
 受話器を通してのその声はシュナイゼルにも聞こえていて、彼とカノンは顔を見合わせた。
 シュナイゼルがカノンの持つ受話器に手を伸ばす。
『私はC.C.。これからそちらに向かう。ルルーシュの記憶を取り戻したければ私を中へ入れろ』
「君は一体何者だ、ルルーシュとどんな関係にある?」
『私はルルーシュの唯一の共犯者たる魔女。私は私の魔王を取り戻したい。おまえはルルーシュの記憶を取り戻したいのだろう? 今ならば、そこならば、邪魔な機情もいない』
「魔王? ルルーシュがおまえの魔王だというのか?」
『そう言っている。詳しいことが知りたければ私をルルーシュと会わせることだ。そうしたら教えてやろう、何もかも。そう、おまえの父親がやろうとしていることも』
 その言葉を最後に電話は切れた。
「殿下……」
 シュナイゼルはカノンの呼び掛けが聞こえぬかのように、受話器を受話器を握りしめたままそれを見つめた。そこに何があるというわけでもないのに。そしてシュナイゼルは深く深呼吸してから受話器を置いた。
 それから数分後、そのVIPルームのインターホンが鳴った。

── The End




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