“行政特区日本”の再建。
エリア11の新総督ナナリーヴィ・ブリタニアは、就任演説の中で、かつてユーフェミア・リ・ブリタニアが設立しようとして失敗した“行政特区日本”を再建すると発表した。
それは誰にも相談されることなく、総督たるナナリーの独断であった。
しかしたとえそうであっても、総督の口から発せられたその案を否定することが出来る者はいなかった。少なくともエリア11には。
特区の建設が進む中、ある日、本国の枢密院から総督であるナナリーに対して通信が入った。
通信を入れてよこしたのは、枢密院議長シュトライトである。
文官であるローマイヤと総督補佐たるナイト・オブ・セブンの枢木スザクを両脇に控えさせ、ナナリーはその通信に出た。
「今回はどのような用件でしょう、シュトライト伯」
『本日は、枢機卿猊下の代理として通信を入れさせていただきました』
「枢機卿猊下の代理!?」
帝国宰相と並んで皇帝に次ぐ地位にある枢機卿の代理ということは、一エリアの総督であるナナリーの立場よりも上ということになる。
「枢機卿猊下の代理ということは、余程大切なご用なのですね。一体何事なのでしょう」
自然とナナリーの口調が目上の者に対するものとなった。
『ナナリー総督は、エリア11に、かつて失敗に終わった“行政特区日本”を再建すると、そう就任演説で宣言されたとのこと。これは確かですか?』
「はい」
ナナリーはモニターに向かって頷いた。
「ユフィお異母姉さまの目指しておられた、日本人とブリタニア人が共に手を取り合って共存出来る場所を創りたいと思い、そう宣言いたしました」
『それに際して、失敗したユーフェミアの……』
「ユフィを呼び捨てにするな! ユフィはブリタニアの皇女でこのエリア11の副総督だったんだぞ!」
シュトライトの言葉を途中で遮り、スザクが叫んだ。
『ユーフェミア・リ・ブリタニアは廃嫡されました。つまり皇女ではない。皇女でない者に対してどうして敬称を付けねばならないのですか? それに枢木卿、貴方も彼女を皇女と言いながら呼び捨てですね。しかも愛称で』
「! それは……!」
『弁解は無用! それに何より、今私が話しているのはナナリー総督であって卿ではない。下がっていていただこう』
「くっ」
スザクは両の拳を握りしめながら一歩下がった。
『さて、ナナリー総督。今回の特区設立に関して、誰かに事前に相談しましたか?』
「い、いえ、それは……」
言いよどむナナリーにシュトライトの口元に笑みが浮かんだように見えたのは気のせいだろうか。
『そうだろうと思いましたよ。しかも貴方はユーフェミアの特区をそのまま再現しようとしているだけで、彼女の愚行から何も学んでいない』
「愚行!? 一体何が愚行だというのですか!」
ナナリーは車椅子から身を乗り出すようにして叫んだ。
『ユーフェミアも、今回の貴方同様誰に相談することもなく、マスコミを通して唐突に特区の設立を宣言した。
しかも貴方は、その特区の内容に関しても何ら再考されることをしなかったのではないですか?』
「だ、だって、何処が悪いというのです? 日本人の皆さんとブリタニア人が手を取り合うことが出来るようになれば、このエリアから無用な争い事がなくなります。それの何処に問題があるというのですか?」
『何よりも国是に反しています』
「でもそのために要らぬ争いが起きているではないですか。特区が上手くいけば……」
『貴方はその特区の設立、整備のための資金が何処から出ているか、分かっているのですか?』
「え?」
シュトライトの言葉の意味を測り兼ねたように、ナナリーは首を傾げた。
「どういうことです、何を仰りたいのですか?」
『金は湯水のように湧いて出るものではない。ブリタニアの民による税金です。そしてブリタニア人は己らの特権が失われる特区など望んではいない。なのにその望んでいないもののために税率を上げられ、政庁に徴収されている。そんなことを一体どんなブリタニア人が喜ぶというのです』
「そ、それは……」
シュトライトが責めるように指摘した事実は、ナナリーは一度も考えてみたことのないものだった。
どのような政策であれ、それが実行されるには金がかかる。そしてそれはブリタニア人から徴収された税金なのである。特区についても同じことだ。しかし、自分で金を稼ぐという経験のないナナリーには今一つ理解しきれないことだった。 かつてナナリー・ランペルージとしてエリア11に、アッシュフォード学園にいた頃は、兄から所謂お小遣いをもらっていたが、その金の出所はアッシュフォード家や、兄がチェスの代打ちなどによって稼いでいたものであった。そして国によって民から税金という名目の金が徴収されているということを、ナナリーはあまりよく理解していなかった。政策に要される金が元をただせば何処から出ているものなのか、ナナリーはきちんと理解していなかった。本来ならとうに理解していてしかるべき年齢であるにもかかわらず、彼女はあまりにも無知だったのである。そしてそれはユーフェミアも同じことがいえた。ユーフェミアもまた、自分たちの生活が何によって賄われているか知らなかったし、知ろうともしていなかった。その点でもナナリーはユーフェミアと同じだった。
『ナナリー総督も、ユーフェミアに負けず劣らず無知でいらっしゃる。そのような者にエリアの統治者たる資格などないと猊下は仰せです』
「わ、私は! 皇帝であるお父さまからこのエリアの総督として任命されました。如何に猊下といえど、それを否定するようなことが許されるのですか!?」
『陛下は行政特区の再建も許されましたか? そのことを陛下に告げられましたか? その上での総督着任ですか?』
立て続けにされるシュトライトからの問いに、ナナリーは答えられなかった。
『そこまでにしておけ、シュトライト』
目の見えぬナナリーには分からなかったが、画面が二分割されて、その一方にシュトライトとは別の人物が映し出された。しかしその人物の顔は影になっていて見ることは叶わなかった。
『猊下』
シュトライトのその一言に、顔は分からぬまでもそれが枢機卿その人であることが知れた。そして思ったよりも若い人物であろうことがその声から察せられた。だがそこまでだった。
『エリア11総督ナナリーヴィ・ブリタニア。そなたのしようとしている“行政特区日本”の再建は、ブリタニアの民に余計な負担を掛けているだけに過ぎぬ。だが、既に宣言され着手されてしまった今、止める術はない。よって今回は特別に見逃そう。しかしその経緯の如何によっては、処罰を与えることになると肝に命じよ』
「は、はい、猊下」
ナナリーは委縮しながらそう返事をするしかなかった。
ただ、少なくとも特区の設立を許してもらえたと、それだけを胸に刻み込み、決して失敗などしまいと心に誓った。それはナナリーのみならずスザクも同様で、決して失敗は許されないのだとの思いを強くした。
それらの様子をただ黙って見ていたローマイヤは、己が仕える総督が何も知らぬ子供に過ぎないのだと、改めて思い知らされ、心の中で深い溜息を吐いた。
そうして特区設立式典の日、黒の騎士団の指令であるゼロは奸計をもって特区に集まった100万人の日本人たちを合法的に出国させた。
つまり特区に参加する日本人はもちろん、ブリタニア人も一人としておらず、名前倒れに終わったのである。
その事態に最も危機感を抱いたのはローマイヤである。
総督であるナナリーはもちろん、スザクも、全てはゼロの計略によるものであり、特区が失敗したとは思っていない。というより、思いたくないというのが正しいところだろうか。再度声を掛け、次こそ特区への参加者を募ればよいと簡単に考えていた。
そしてその日の夕方、枢密院のシュトライトから再び通信が入った。
ローマイヤは己の抱いた危機感が現実のものとなったことをその時点で察した。
『猊下のご命令です。既に皇帝陛下の許可も出ております。ナナリー第6皇女をエリア11総督から更迭いたします。また総督補佐である枢木卿もその役目を果たすことが出来なかったことから、総督補佐の任から同じく更迭。両名とも直ちに本国に帰還せよとのことです』
「ま、待ってください! 今回のことはゼロによる計略のせいです! 決して総督に責任は……っ!」
『責任はないと言われるか? ではどのようなことなら責任を取られるのです? 特区は失敗に終わった。これが事実です。そして猊下は、これ以上、エリア11に住まうブリタニアの民に要らぬ無駄や無理はさせられぬとの仰せです』
「よろしいでしょうか、シュトライト議長」
初めてローマイヤが口を開いた。
『何か問題が?』
「ナナリー皇女殿下が帰国されるとなると、次の総督はどうなりますか? 総督不在が続くのでしょうか?」
『後任の人事については既に検討に入っております。決定がくだされるまでは、前任者であるカラレス総督が着任される前と同様に、ギルフォード卿とMs.ローマイヤとで恙ないよう事にあたるように、との猊下の仰せです』
「畏まりました。ではギルフォード卿にも話をしてしかるべく」
そうしてナナリーは、就任演説で「何も出来ない」と述べたように、ただブリタニア人に負担を強いたのみで、スザクと共にエリア11を去ることとなった。本国に戻ればラウンズとしてのスザクに対しても処罰が待っているのを、今のナナリーとスザクは知る由もない。
── The End
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