転 落




「“行政特区日本”の設立を宣言いたします」
 ユーフェミアは訪れていたアッシュフォード学園の学園祭の最中、マスコミを前にそう宣言した。
 ユーフェミアが宣言した特区の話は、このエリア11の総督たるコーネリアには寝耳に水の出来事だった。
 しかしTVのニュース番組の中、ユーフェミアは笑顔でそう宣言していた。
「何を馬鹿なことを!」
 それがコーネリアが発した最初の言葉だった。
 ナンバーズとは弱者であり、弱肉強食を国是と掲げるブリタニアにとっては、人ではなく虐げてしかるべき家畜同様の存在。それをブリタニア人との区別をなくす特区を創るなどと宣言し、あまつさえテロリストのゼロにまで参加を促す声を掛けるなど、一体何を考えているのか。ユーフェミアは己の立場を、ブリタニアの国是をどう考えているのか。
 ユーフェミアの宣言を聞きながら、コーネリアは頭を抱えた。



 ユーフェミアの宣言を受けて、黒の騎士団内でも連日討論がされていた。
 扇をはじめとした何人かは、せっかく向こうから言ってきているのだし、黒の騎士団としても参加してもよいのではないかと提案していた。
 その一方で、これは騎士団を釣るための餌ではないかという者もいた。
 世間ではユーフェミアは“慈愛の皇女”などと呼ばれてはいるが、実際のところ、彼女は“ブリタニアの魔女”たるコーネリアの妹であり、慈愛など、何処まで本当のことかしれたものではないという意見もある。
 ユーフェミアの宣言した特区に対してどう対処するのが一番良いのか、騎士団のメンバーの議論は尽きない。
 その日も暫く団員たちの意見の遣り取りを聞いていたゼロが、この件について初めて、その仮面の下で口を開いた。
「この度の宣言、無視するわけにはいかない。宣言に心を動かされている日本人がいるのは否めない事実だ。そうなれば、今回の特区を無視しきるのは狭量ととられ、得策とはいえない」
「そうだよな、そうだよ、参加しよう、ゼロ!」
 我が意を得たりとばかりに扇が叫ぶ。
「だが本当に信じられるのか?」
 南が疑問を口にした。
「その通りだ。それにもし参加した場合、我々は武力を、つまりブリタニアに抵抗する力を奪われる。つまり武装解除させられるだろう。そうなると、二度とブリタニアと対することは出来なくなり、組織としては瓦解するも同然と思われる。そしてブリタニアが特区の設立を認めたのは、その辺が目的だろう、決してユーフェミアが唱えたような意味あいではなく」
 南の疑問をゼロは肯定する。
「じゃあ、結論としておまえはどうするつもりなんだよ、ゼロ?」
 意味が分からないと玉城がお手上げの状態でゼロに問い掛けた。
「特区に参加はしない。出来ない。が、無視することも出来ない。よって、呼び掛けられた以上、式典には参加するが、それだけだ。
 今回の“行政特区日本”は、ブリタニアの国是に反したもの。参加した場合に我々がどうなるかは別として、いかに皇族の副総督といえど、国是に、皇帝の意向に逆らって何処まで出来るか分かったものではない。というより、私の感想を言わせてもらうなら、特区はそう遠からず失敗するだろう。これまでの様子から、ユーフェミアに行政能力があるとは思えず、それを考えれば、特区が自治区としてまともに機能するかどうか、大変あやしい。
 また、場合によっては、ブリタニア本国は、確かに設立を認めはしたが、いつまでも認め続けるとは限らない。つまり、廃止を打ち出してくる可能性もある。
 したがって、結論としては、それまでの間は雌伏して静観し、時期を待つ。特区が失敗に終わる時を。
 だが、団員の中にどうしても特区に参加したいという者がいるなら、それは止めない。私の考えを強制するようなことはしない。各自の意思を尊重する。ただ、その際には黒の騎士団からは抜けてもらい、一般人として参加してもらうことになる。そして、黒の騎士団のことに関しては、決して口にしないこと、これだけは約束してもらいたい」



 そしていよいよ特区設立記念式典の日がやってきた。これからのことを祝うかのように、空は晴れ渡っている。
 しかしこの特区の提唱者であるユーフェミアの心は晴れない。何故なら、呼び掛けたゼロが未だ式典会場に姿を見せず、ゼロのために用意された椅子は、そこに座るべき主を迎えることなく、空いたままだからだ。
「ユーフェミア様、お時間です」
 その声に、ユーフェミアは空いている椅子をもう一度見てから立ち上がり、ステージの中央に進み出た。
 そこに空から式典会場にやって来るKMFの影があった。
 以前、神根島でゼロに奪われたガウェインという名の、今はゼロのものとなっているKMFである。ガウェインは複座式のため、その操縦を他の者に任せてか、ゼロはガウェインの肩に真っ直ぐに立っていた。
「ゼロ! 来てくださったのですね!」
 喜び勇んでユーフェミアはガウェインに駆け寄る。
 ガウェインはステージの上に降り、その肩からゼロが降りるのに手を貸した。
「この度は“行政特区日本”の設立、おめでとうございます」
「ありがとうございます。今日こうして来ていただけたということは、協力していただけるということですね?」
 疑問形でありながらも、ユーフェミアはそれを信じて疑わない。
「特区の意義には賛同します。差別のない、ブリタニア人と日本人が共に手を取り合うための特区。そのお考えは素晴らしい」
「ゼロ」
 誉められて嬉しいというように、ユーフェミアは微かに頬を染めた。
「ですが、我が黒の騎士団がこの特区に参加することはありません」
「ゼロ!? どうしてです、素晴らしいと言ってくださりながら、どうして?」
 ゼロの参加を否定する言葉に、ユーフェミアは水を差されたように驚いた。
「ブリタニアの国是に反したこの特区が、果たして成功するとは、正直私はとても考えられないのですよ」
「大丈夫です、本国にはきちんと認めて貰いました」
「……何と引き換えに?」
「私は皇籍を奉還いたしました。それと引き換えにこの特区の設立を認めてもらいました。ですから何の心配もいりません」
 ユーフェミアは胸を張って自信ありげに応えた。
 ゼロであるルルーシュは、やはり、と思いつつ、仮面の中で大きな溜息を吐いた。そのようなことでもない限り、確かにブリタニア本国が、特区の設立を認めようはずがない。ただし、設立することだけに関してだが。
 そしてユーフェミアが言うことが真実であるならなおのこと、この特区は成功しない。皇族ではなくなり、一般の庶民となった者が、たとえ一区画とはいえエリアの領土を治めることを、ブリタニアが良しとするはずがない。早晩この特区は瓦解するだろうことがゼロには見えた。そしてブリタニアは、もとよりそのつもりなのだろうことが伺える。
 しかし、ユーフェミアはそのようなことは思いもしないのだろう。本国から設立を認められたことで、あまりにも純粋無垢に、特区の成功を確信しているかのように振る舞う。運営に関して、果たして何処まで考えているのか。いや、ユーフェミアのこれまでのことから考えれば、設立さえ出来れば、あとはうまくいく、そう短絡的に考えていると思えてしまう。もっとも、そこにはゼロの参加、というものがあってのことだろうが。黒の騎士団ではなく、あくまで“ゼロ”であるルルーシュの。
「ならばなおのこと、我々がこの特区に参加することはありません。皇女でなくなった貴方には、何の権力も、副総督たる資格もなくなるのですから。そんな状態の特区にはとても安心して身を委ねることは出来ません。
 ですがご安心ください。少なくともこの特区が上手く機能している間は、我々はブリタニアに対してのテロ行為は控えましょう。特区の成功をお祈りしていますよ」
「ゼロ!」
 告げるべきことは告げたというように、ゼロはユーフェミアに背を向け、再びガウェインの肩に乗って会場から去った。
 何故、どうして信じてくれないの、そう思いながら、ユーフェミアは飛び去るガウェインの姿を見送るしかなかった。ゼロが告げた言葉の意味を理解しきれぬままに。



 そうしてゼロと黒の騎士団を欠いたまま、“行政特区日本”は始まった。
 しかし全てはゼロが予言した通りだった。
 特区といっても、そこにあるのはただの入れ物だけ。人はそれなりに集まっているが、仕事はなく、食べ物すらもない。確かにライフラインは整っているが、それ以上のものは何もないのだ。そんなところで一体どうやって生活していけというのか。
 それでもブリタニア人── 役職にある者やその関係者たちのみであり、進んで特区に参加した者たちではない── はまだいい。外から差し入れがある。だが日本人は違う。特区に入り日本人と呼ばれるようになった者たちに、差し入れをするような奇特な者は存在しない。さらに言うなら、外にいるイレブンにそんな余裕はないのが実情だ。
 聞いていた話と違う、ここはただの檻に過ぎない、そう気付いた日本人たちは、特区の官庁に対して抗議行動を始めた。
 コーネリアの采配で特区に派遣されているブリタニア軍の者たちは、そんな行動を起こした日本人たちに対して武力で応じた。ユーフェミアはそれを止めるようにと指示を下したが、最早皇族でもなければ副総督でもないただのユーフェミアの言うことを聞くブリタニア軍人はいない。
 ユーフェミアの騎士であり、この特区設立を、あるいはユーフェミア以上に喜んでいたスザクは、ユーフェミアが皇族ではなくなった時点で、既に騎士という存在ではなくなり、現在はただの側近の一人に過ぎない。そんなスザクには何も打つ手がなかった。軍の、民間人である日本人に対する無体な行為を止めようにも、スザクのKMFであったランスロットは既に彼の手元にはなく、あるのは護身用の銃が一丁と一振りの剣だけだ。それで一体どうやってブリタニア軍を止められるというのか。
 ことここに至って、ユーフェミアは漸くゼロが懸念していたことを理解し、実感した。だがもう遅い。抗議する日本人たちは、いや、それを遠巻きに見ている日本人に対してすら、ブリタニア軍は襲いかかっている。
 そこはもうユーフェミアが思い描いた、ブリタニア人と日本人が共に手を携えることの出来る夢のような楽園ではなく、ブリタニア軍人による日本人に対する、ただの殺戮現場と化していた。
 今頃、特区を成功しないと見越して参加を拒否したゼロは、一体どんな顔をしてこの在り様を見ているだろうかと、そんな考えがユーフェミアとスザクの脳裏を(よぎ)った。

── The End




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