枢機卿と騎士




「私が騎士とするのはあそこにいる方、枢木准尉です」
 クロヴィス記念美術館において、モニター画面で四聖剣と呼ばれるイレブンとスザクの戦いを見ていたユーフェミアは、モニターに映るスザクを示しながらマスコミに答えた。



「うーん」
 特別派遣嚮導技術部── 特派── のトレーラーで、主任のロイドが唸っていた。
「困っちゃったねー」
「そうですね」
 ロイドの呟きに、副官のセシルが頷いた。
 特派は第2皇子であり帝国宰相でもあるシュナイゼル直轄のKMF研究開発のための組織であり、スザクがテストパイロットを務めるランスロットは、その特派が開発した現行唯一の第7世代KMFである。つまりスザクの直接の上司は特派主任たるロイドだが、さらにその上には第2皇子シュナイゼルがいるのである。
 にもかかわらず、ユーフェミアはそれが何を意味するかを理解することなく、スザクを己の騎士に任命した。
「猊下もお困りだろうに」
 さらなるロイドの溜息混じりの呟きに、セシルはただ頷くことしかできなかった。
「とにかくこれからどうするか、シュナイゼル殿下と猊下にお伺いをたてようか」
 そう言って、ロイドは座っていた椅子から立ち上がった。



「何も言ってはくださらないのですね」
 通信機のモニターに映る姉のコーネリアにユーフェミアは問い掛けた。
『選任騎士を任命するのは皇族の権利だ。私がどうこう言えることではない』
「お姉さま」
『だがこの度の任命の在り方そのものについては、枢密院からクレームが入っている』
「えっ? どうしてですか?」
 名誉ブリタニア人を騎士に任命したことに関して姉から叱りがあるだろうことは想定していたユーフェミアだったが、枢密院からのクレームというのは予想外のことだった。
『当然だろう。枢木は特派の所有するKMFのデヴァイサー。つまり枢木の上には第2皇子であるシュナイゼル異母兄上(あにうえ)がいらっしゃる。にもかかわらず、おまえはその異母兄上に一切諮ることなく、唐突に枢木を自分の騎士にと発表した。まずはシュナイゼル異母兄上に連絡を入れた後に枢木を騎士に任命するのが筋。それをおまえは怠った』
「で、ですがそれは──
 それが問題になるようなことだとはユーフェミアは考えてもいなかった。マスコミから騎士について質問を受けていた。だからそれに応えた。その認識しかユーフェミアにはなかった。そこに至る経緯についていえば、名誉と知れた途端に非難を浴び始めたスザクに対して、お飾りと呼ばれ続ける自分を投影したところがあったのは、流石にユーフェミアも否定はできない。しかしそれが枢密院からクレームが入るようなことだとは、思ってもみなかった。ユーフェミアの心の経緯はどうあれ、皇族として己の騎士を任命、発表するのに問題が発生するなどとは考えてもみなかった。
 コーネリアとの通信を切った後、冷静になって考えてみれば、スザクを己の騎士に任命したことそのものはともかくとして、確かに手順がまずかったのかとユーフェミアはやっと思い至った。しかし既に発表され、スザクの騎士叙任式までさ程日がない中、自分はどうしたらいいというのか。
 考えて、ユーフェミアはクレームを付けてきたという枢密院に連絡を取った。
『ユーフェミア皇女殿下、この度はどのようなご用件でしょう』
 通信モニターの先、枢密院の議長であるシュトライト伯爵がユーフェミアにそう尋ねてきた。
「あ、あの枢機卿猊下は……?」
『猊下は現在こちらにはいらっしゃいません』
「では、今回、私がスザク、いえ、枢木准尉を騎士に任命したことについて枢密院からお姉さまにクレームが入ったと聞いたのですけれど、それは……」
『猊下からのご指摘で私が行いました』
「それでは伯爵から、猊下に対して私が謝罪していたとお伝えいただけますか?」
『何か勘違いされておられるようですね、皇女殿下』
 何処か呆れたような声でシュトライトは告げた。
「勘違い?」
『皇女殿下が謝罪すべきは、我が猊下でも、もちろんこの枢密院でもなく、シュナイゼル殿下です』
「あ、あの、それは……」
『皇女殿下が騎士に任命した枢木スザクが所属していたのは、シュナイゼル殿下直属の特別派遣嚮導技術部。つまり最終責任者はシュナイゼル殿下でいらっしゃいます。皇女殿下はそれを無視して枢木をご自分の騎士に任命なされた。それが問題だと猊下は仰いました。つまり皇女殿下は序列をお考えになられることなく、シュナイゼル殿下を無視されたと』
「わ、私はそんなつもりは、私はただ……」
『ですから私は皇女殿下がそれを伝えるべきお相手は、この枢密院ではなく、シュナイゼル殿下だと申し上げております。他にご用件がなければ、皇女殿下もエリア11の副総督としてお忙しいことでしょうし、通信はこれまでにさせていただきたく存じます』
 最後の言葉はシュトライトからすればお飾りと揶揄されているユーフェミアに対する皮肉だったのだが、ユーフェミアはそれにすら気付いていない。
 通信が切れて砂嵐となった画面を見ながら、ユーフェミアはシュトライトの言葉を反芻し、自分のとった行動が如何に軽挙であったかを改めて悟らざるを得なかった。
 そしてシュトライトに言われたようにシュナイゼルに謝罪すべく連絡を入れたが、生憎とシュナイゼルはEUに赴いている途中であり、連絡を取ることは叶わなかった。
 そしてそのままスザクの騎士叙任式の日を迎えた。その頃には、ユーフェミアは今回の騎士任命に関して枢密院からクレームが入ったとの姉の言葉も、シュトライトから掛けられた言葉も、既に頭から消えていた。



 式典が終わった日の夜、スザクはユーフェミアの計らいで編入したアッシュフォード学園で、スザクの騎士叙任を祝っての祝賀会に参加していた。
「おめでとう、スザク」
 スザクの幼馴染みであり親友とも言えるルルーシュがそう声を掛けてきた。
「おめでとうございます、スザクさん」
 ルルーシュの傍ら、車椅子に乗る彼の妹のナナリーも、兄に倣ってスザクに祝いの言葉を掛けた。
「ありがとう、ルルーシュ、ナナリー」
 その二人に、二人が心の底で何を思っているのかを考えることもなく、スザクは心底からの満面の笑みで答えた。
 今までスザクが名誉ブリタニア人だということで彼を遠巻きにしていた他の生徒たちも、スザクに祝いの言葉を述べてくる。
 これでまた一つ認められた、とスザクは純粋に喜んだ。あまりにも愚かな程純粋に。
 祝賀会の最中、会場となっているホールの大きな扉が開いて一組の男女が入って来た。男性は明らかに爵位持ちの貴族であるとうかがわせる正装をしていたし、女性の方は軍服ではあったが、身に付けたそれは礼装用のものであった。
 二人に気付いたスザクが駆け寄っていく。
「ロイドさん、セシルさん」
 スザクは二人に近付いて、改めて二人の身なりに違和感を覚えた。この後、何かあるのだろうか。
「やあ、スザクくん。今日から晴れてユーフェミア皇女殿下の騎士だね」
「は、はい」
 ロイドの言葉に、スザクは嬉しそうな表情で頷いた。
「まあ、うまくおやり。お飾りと言われてても仮にもこのエリアの副総督閣下だし、それに君は君で、もう君の嫌いな人殺しをしなくて済むようになったわけだしね」
「え? どういう、ことですか?」
 ロイドの言葉の前半にむっとし、しかしその後半に意味を測り兼ねて、スザクは尋ね返した。
「シュナイゼル殿下からのご命令で、君は特派から解任、ユーフェミア皇女殿下の騎士に専念するように、だってさ」
「そ、それってどういうことです!? 僕はランスロットのデヴァイサーで、……」
「だからその立場から解任、君はもうランスロットのパーツじゃない。元々ランスロットは僕が猊下のために自分用に造ったものだしね」
「猊、下?」
「そう、僕が騎士を務める枢機卿猊下」
「枢、機卿……?」
 スザクは聞きなれないその言葉をただ反芻することしかできなかった。そんなスザクを無視して、ロイドはセシルと共にホールの中へ進んでいく。
 数瞬遅れてそれに気が付いたスザクは、慌てて振り返った。
 まずい! とスザクは思った。何故ならそこには、ブリタニアの皇室から隠れ住んでいる幼馴染の兄妹がいるはずで、そしてだからなのか、ロイドは気付いていて、そのために正装してやって来たのかと、そう悟ってスザクはロイドの後を追った。
「久しいな、ロイド・アスプルンド、我が騎士よ」
 目に入ったのは、スザクには信じられない光景だった。
 ロイドがその後ろに控えるセシル共々、スザクの幼馴染の彼の前に、右手を胸に当てて片膝を付いている。そして彼は何の気負いもなさげにそう言葉にした。
 ホール中が静まりかえり、彼らの遣り取りを黙って見つめている。
「はい、お久しゅうございます、枢機卿猊下。お召しにより、参上つかまつりました」
 ロイドの言葉に、彼は鷹揚に頷いた。
「今朝、宰相から連絡が入った。ユーフェミアは結局連絡を入れてこなかったそうだ」
「さようにございますか」
「特派は本日をもって解散とのこと。卿はこれよりは我が騎士として私の傍に」
「御意。この身の全ては猊下の御為に」
 ロイドは差し出された彼の手を取り、その甲に恭しく口付けを落した。
「ル、ルルーシュ、これは一体……?」
 スザクは狼狽えた。
「君は皇室から隠れていて、なのに、枢機卿、って……」
「これは元々私の騎士。それを宰相に預けていただけのこと」
 そう告げるルルーシュの後ろに、ロイドとセシルが立つ。
「第3皇女の騎士に任命されたといっても、所詮君はナンバーズ上がりの名誉。恐れ多くもブリタニアの第11皇子であり枢機卿であられる猊下を呼び捨てにしていいような立場じゃないよ。猊下か、せめて殿下とお呼びするべきだ。さもなければ不敬罪で捕縛されても知らないよ」
 人の悪そうな笑みを浮かべながら、ルルーシュの後ろでロイドが告げた。
「何でっ! 君は皇室から隠れてる、アッシュフォードに匿ってもらってるって!! 嘘をついていたのか、僕に!」
 思わずスザクは怒鳴っていた。
「表に出るのはまだ時期尚早と隠れていたのは事実。嘘をついたわけではない」
「そんなの……」
「まだ幼くていられた猊下が、他の皇族や貴族たちから隠れておいでだったのは本当のこと。猊下の身を守るための手段。それは君がどうこういう筋合いの話じゃない」
「でもっ!!」
「スザクくん、貴方はユーフェミア皇女殿下の騎士になった。なら、いつまでもここでのんびりしていないで、騎士としての責務を果たすために皇女殿下の元にお行きなさい。私たちが猊下の元に参じたように」
「セシルさん……」
「猊下が表に出られるのは、本来ならこの高等部を卒業されてからの予定だった。それが早まったのは君の存在のせい。ユーフェミア皇女の騎士に任命された君が猊下の傍にいることで、猊下のことを表に知られるきっかけになる可能性が大きくなったからだ。これ以上君が猊下の傍にいることは、猊下の身を危険に曝すことに繋がる。さっさと君の主の元へ行きたまえ」
「ルルーシュ……」
 信じられないものを見たと、聞いたと言いたげに、スザクはルルーシュの名を呼び、首を横に振った。自分は何を信じたらいいのかと。
「それ以上猊下を呼び捨てにすることは許されない」
 ロイドは腰に帯びていた剣を抜いた。
「ロイドさん!」
 ロイドの隣に立つセシルの右手にはいつの間にか銃が握られ、その銃口は真っ直ぐにスザクに向けられている。
「不敬罪で捕まりたくなければ、さっさと君の主の元へ行きたまえ」
 恫喝するようにロイドが告げた。それは決して大きな声ではなかったがホール中に響き渡った。
「くっ」
 スザクはロイドのその言葉に踵を返して、ホールから駆け去った。
「ミレイ」
 その後ろ姿を見送りながら、ルルーシュはこのアッシュフォード学園高等部生徒会長の名を呼んだ。
「はい、猊下」
 呼ばれたミレイは先程までのロイドとセシルのように、ルルーシュの前に膝を折った。
「余計な騒ぎを起こして済まなかったな。本来の予定であれば、このようなことをせずに静かに去るつもりだったのだが」
「いいえ、元をただせば皇族である副総督の口利きということで、枢木スザクの編入を断りきれなかった我がアッシュフォードの手落ちでございます。どうぞお気になされませぬよう」
 スザクが駆け去った後、繰り広げられていた目の前の出来事に静まり返っていた生徒たちがざわめき出す。
「戻るぞ、ナナリー」
「はい、お兄さま」
 その短い遣り取りの後、ルルーシュはナナリーと共に、ロイドとセシルの二人を引き連れてゆっくりとホールを後にした。
 深く腰を折ってそれを見送るミレイを見つめていた生徒たちは、彼らが姿を消したと同時に騒ぎ出した。その喧騒を耳にしながら、ルルーシュはこれまでの一学生としての生活の終わりと、そして皇室に戻ってこれから始まる新しい日々に思いを馳せた。
 まずはリ家姉妹の更迭からか、と口元に小さな笑みを浮かべながら。

── The End




【INDEX】