辞 去




 ルルーシュが第99代のブリタニア皇帝として即位して暫くした、彼にとっては珍しく居間で休みをとっていたある日、侍従の一人が彼の元にやって来た。
「陛下、先帝の皇妃殿下であられるアダレイド様がお見えになられましたが」
「アダレイド殿が?」
 その名前に、ルルーシュはそういえば、と思い出した。
 過日、アダレイドが後宮を去るにあたってルルーシュに謁見を願い出ていたことを。そしておそらくそれは執務に関することではあるまいと、ルルーシュはあえて休憩を入れていた今日のこの時間を指定していたのである。
「ああ、そんな時間か。応接室に」
「よろしいのですか、それで?」
 侍従は恐れ多いと思いながらも、ルルーシュに再確認した。
「執務に関してなら謁見の間といったところだが、今回の彼女の訪問は私的なものだろうと判断した。構わぬ」
「では仰せのままに」
 そう答えて侍従は去った。
 少し間をおいて、ルルーシュは先帝の皇妃アダレイドが待っているであろう応接室に足を向けた。
 侍従が応接室の扉を開くと、中で座ってルルーシュを待っていたアダレイドが、ソファから立ち上がり、床に膝を付いた。
「この度は(わたくし)のために貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとう存じます」
「改まった場ではない、ソファに掛けて寛ぐといい」
「はい」
 アダレイドは、ルルーシュに勧められるまま、立ち上がるとそれまで座っていたソファに改めて腰を降ろした。
「で、今日は何用で? 執務に関してではないだろうと勝手に判断させていただいて、謁見の間ではなくこちらを用意させたが」
「流石は陛下、よくお分かりでいらっしゃいますね」
 アダレイドは艶やかな微笑みを浮かべた。
「先帝陛下が亡くなられた以上、当代であられるルルーシュ陛下のお言葉がなくとも早々にこの後宮を辞すべきところ、なかなか決心がつかずに過ごして参りました。ですが漸く心の整理もつきましたので、明日にでもこの後宮を去ろうと決めました。そのため、去る前に一度陛下にご挨拶をと思い、謁見を願い出たのでございます」
「貴方は潔い方ですね」
 ルルーシュのその言葉に、アダレイドは他の皇妃たちの状況を思い浮かべた。既に後宮を去った者もいれば、いつまでも先帝の皇妃という立場に甘え、この後宮にしがみつこうとしている者もいる。
「潔いなどと、既に去られた方を思えば浅ましい限りでございます」
「貴方にとっては私は先帝を弑し、皇妃たる立場を失わせた男。しかも貴方方が憎んだ庶民出の女の息子です。その私に対して、こうして訪ねてこられる。それだけで十分潔い方だと思いますよ」
 アダレイドはそう告げるルルーシュに、思わず魅入られた。
 確かにルルーシュは先帝を、自分を皇妃としたシャルルを弑した憎むべき相手なのだろう。だが弱肉強弱を国是とし、子供たち同士にも争いを推奨していたことを考えれば、当のシャルルがその対象から外れていると考える方が不自然だ。そう考えれば、皇帝を弑し、己こそが皇帝に相応しいと名乗りを上げる者がいたとしても、決しておかしな話ではない。
 そして、ルルーシュは確かにアダレイドにとっては自分から皇帝の寵愛を奪った、それも庶民出の憎い女の息子ではあるが、今彼女の眼の前にいる彼は、皇帝たるに相応しい威厳を湛えている。20歳にも満たぬ若さでありながら。
 故にアダレイドは、ルルーシュを認めたのだ。たとえかつては庶民腹の卑しい生まれと蔑んでいた存在ではあっても、現在のブリタニアではルルーシュは紛れもない唯一の皇帝であり、即位してからまだ短いにもかかわらず、国の内外から“賢帝”と呼ばれている。そんな存在をどうして否定出来るだろうか。ましてや自分の訪いを執務に関することではないと見ぬき、プライベート空間に招き入れてくれるような存在を、否定出来ようはずがない。
「これからはどうされるおつもりですか?」
「はい。実家の領地に戻り、暫くはそちらの本宅で過ごそうかと思っております」
「貴方のご実家は、確かロセッティ大公爵家、でしたね」
「よく御存知ですね」
 アダレイドは微笑んだ。ブリタニア本国に戻って間もないのに、ましてや幼くして皇室を離れた身でよく知っていると。
「こちらに戻って真っ先にしたことが、皇族や貴族たちの調査です。今後の執政のことを考えた時に、誰が有能であり誰が無能か、あるいは、誰ならば協力してくれて誰ならば否定するか。その程度のことを見抜けなければ自分の思い描くような政を行うのは不可能と判断しましたから」
「ご立派でいらっしゃいます」
 ルルーシュに対してそう思えば思う程、アダレイドは自分が、そして自分の産んだ娘たちが如何に愚かであったかが見えてくる。
 長女のコーネリアは軍人としては確かに優秀だったかもしれない。しかし為政者としてはどうだったのだろう。力押ししか出来ていなかったのではないか。しかも何故か無責任にも総督の地位を投げ出して出奔し、未だに行方を眩ませている。そしてそんなコーネリアが溺愛した次女のユーフェミアは、姉に守られ世間知らずのまま、為政者たるものの姿勢を何一つ学ぶことなく、エリアの副総督となり、ナンバーズ上がりの名誉を己の騎士とし、当時の国是に逆らい、挙句“虐殺皇女”の名の下に、今なお世界から憎しみの目をもって見られている。
 ルルーシュの妹のナナリーは、アダレイドにとってみれば侮蔑の対象だ。この優秀なルルーシュの妹とは思えぬ程に愚鈍で、ユーフェミア同様に世間を知らず、己の能力を弁えず、にもかかわらず総督になりたいなどと平気で強請ることの出来る恥知らずな小娘。それがアダレイドのナナリーに対する評価である。
 同じ母を持ちながら、なんと違うことか。
 そう思っているうちに、アダレイドは目の前に出された紅茶から湯気も上がらなくなっていることに気付いた。
 今はルルーシュの、皇帝としてではない、貴重なプライベートタイムだ。それをルルーシュは自分のためにあえて割いてくれている。即位以来忙しない日々を送っている皇帝のその貴重な時間を、自己の満足のためだけに過ごさせて良いわけがない。そう察したアダレイドは辞去の旨を伝えた。
「本日は陛下の貴重な時間を私如きのために割いていただき、本当にありがとうございました。今後、陛下の政が恙なく運びますよう、お祈り申し上げます」
 アダレイドはルルーシュにそう告げ、深く一礼した。
「お元気でお過ごしください、アダレイド殿」
「はい」
 そしてアダレイドは皇帝たるルルーシュの前から去り、翌日、ルルーシュに告げたように己に与えられていたリブラ離宮を去った。その後、一度帝都内にある屋敷にいる両親に顔を見せてから領地にある本宅に向かった。それが後にアダレイドの命を救うことに繋がるのだが、この時のアダレイドにはそのようなことは考えもつかないことだった。

── The End




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