暗 躍




 神聖ブリタニア帝国第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアにとって、数多(あまた)いる母を異にする兄弟姉妹は歯牙にも掛けるような存在ではなかった。
 そんな中で、唯一の例外が第5皇妃マリアンヌの長子ルルーシュだった。ルルーシュだけがシュナイゼルにとって認めてもいいと思わせる存在だった。いや、シュナイゼルのルルーシュに対する感情はそんな簡単なものではなかった。単なる肉親に対する以上の感情だった。その思いが何と呼ばれるものなのか、シュナイゼルがそれに気付いたのは、ルルーシュの母が殺され、彼が身体障害を負った妹と共に、内々で開戦することがほぼ決定している日本に送られ、その地で亡くなったと知らされた時だった。以来、シュナイゼルは表だって感情を見せることはなくなった。元々あからさまな感情表現をする性質(たち)ではなかったが、ルルーシュという、シュナイゼルにとっては何よりも大切な存在を失ったことが、シュナイゼルのそれに拍車を掛けたのは否めない事実だ。
 シュナイゼルの学友でもあるロイド・アスプルンドは伯爵家の出身だった。そんな彼がルルーシュとの知己を得たのは、ひとえにシュナイゼルのお蔭であった。それが、ロイドがシュナイゼルに対して感謝している一つのことである。元をただせばそのきっかけは、ルルーシュの母である“閃光のマリアンヌ”と謳われた人と出会い、彼が興味を示しているKMFに関しての知識を得るためだった。ロイドにKMFに対する興味がなければ、彼がマリアンヌに会うことも、必然的にその長子であるルルーシュに出会うこともなかった。庶民出の母を持つ皇子として、周囲の皇族や権門の貴族たちからは彼は蔑まれていたが、その生まれ持った利発さと、幼いながらも母譲りのその美貌に、いずれはルルーシュの騎士に、と己に誓ったものである。それだけにルルーシュを失ったロイドの心の傷は大きく、それが彼の他の人間に対する興味を失わせ、KMFの研究にのめり込ませた要因となっていた。
 失われた第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。しかし彼は生きていた、エリア11となったかつての日本で。一般人の学生として過ごす傍ら、祖国ブリタニアに反逆する仮面のテロリスト、黒の騎士団の指令たるゼロとして。
 シュナイゼルとロイドがそれを知ったのは、ブラック・リベリオンが終息した後のことである。
 二人がそれを知り得たのは、シュナイゼル直属であり、ロイドが主任を務める特別派遣嚮導技術部── 特派── が開発した、現存する唯一の第7世代KMFランスロットのデヴァイサーたる枢木スザクがゼロを捕え、皇帝に突き出した事実に由来する。
 名誉ブリタニア人枢木スザクは、己の出世と引き換えに、己の親友たるルルーシュを皇帝に売ったのだ。ルルーシュが何故(なにゆえ)に祖国に反逆する道を選んだのか、それを考えようとも、知ろうともせず、ただ彼の主であった── ふだんの遣り取りからはとても主従関係にあるとは到底見えなかったが── 己の「ユフィ(・・・)の仇」という感情と論理のみに従って。
 シュナイゼルとロイドにとって、スザクのその行為は許すべからざることであった。
 しかしルルーシュは既に皇帝に売られた後だった。なんとかルルーシュを皇帝の手から解放し己らの手元に保護することは叶わないか、シュナイゼルとロイドは議論した。本来なら相手の手など借りず己一人だけで、と二人とも互いに思っていたが、帝国宰相たるシュナイゼルですら、皇帝の手からルルーシュを奪い返す手段を講じかねていた。伯爵に過ぎないロイドに至ってはなおさらである。結果、二人は知恵を寄せ合うべく互いの手を取った。
 そんな二人の元に、一人の不思議な少女が訪れた。その少女はシュナイゼルの記憶が正しければ、以前よく生前のマリアンヌの元を訪れていた少女だった。しかし不可解なことに、少女のその姿は、その頃と全く変わりがなかった。不老者であるかのように。



 シュナイゼルは特派の有する第7世代KMFランスロットのデヴァイサーであるスザクが、皇帝のラウンズとなったことに伴い、もともと彼が創設した彼直轄の組織である特派については、その主任たるロイドをはじめとして、操縦者を選ぶランスロット自体はともかくとして、それ以外については、何一つスザクにくれてやる気など毛頭なかった。そんな義理はないし、スザクが、自分の愛しむ存在であるルルーシュに対して行ったことを考えれば、それは当然のことである。故に、本来の己直轄の特派の主任としてのロイドに対し、第8世代KMFの開発を命じた。
 そしてそれはまた、特派主任のロイドにしても、シュナイゼルと同様、主にと望んだルルーシュを皇帝に売って己の出世を取ったスザクに対し、良い意味で関わる気は毛頭なかった。
 故にスザクは、シュナイゼルが半ば投げやり的に許可したことによってランスロットに騎乗し続けてはいるものの、そのメンテナンスなどを行う部下もおらず、これは致し方なくロイドが知り合いを紹介したが、その相手も、ロイドの心中を察している部分があってか、さして乗り気ではなく、熱心さに欠けていたし、ありていにいえば半ばサボタージュ状態だった。それでもスザクはロイドのKMFに対する感情がいきすぎなのを知っていたこと、ランスロットの特殊性を考えれば、普通はこんなものなのだろうと済ませていた。そして周囲はそんなスザクを陰で馬鹿にしていた、所詮は何も理解していないナンバーズよと。
 そんなことから、ブリタニア帝国において皇帝の騎士たるラウンズという、臣下としては最も高い地位を得ながら、ロイドたちが去ったことにより誰の後見もなく、名誉如きがと、そしてかつて主と仰いだユーフェミアを亡くした途端に主を変えた、ブリタニアの騎士たるものの持つ意味を何も理解してない尻軽の騎士と蔑まれてもいた。流石にスザクも自分がブリタニア宮廷内でよく思われていないのは理解していたらしいが、それは己がナンバーズ出身に由来するものだけであると思い込んでいた。ラウンズとして役目を果たせば認めて貰えるはずだと、彼は楽観視していた。
 そんなスザクを冷めた瞳で見つめながら、シュナイゼルとロイドはルルーシュを己らの手元に置くべく、C.C.と名乗る謎の少女と動いていた。
 少女から得た情報で、現在のルルーシュはどういった方法を持ってか記憶を弄られ、自分のことはただの一般庶民のルルーシュ・ランペルージであると思い込まされ、その傍には本来いないはずの弟の存在があるという。そしてそんなルルーシュを見張る皇帝直属の機密情報局── 機情── の影。彼らの、ひいては皇帝の目的は自分にあると、少女はシュナイゼルとロイドに話した。そのためのルルーシュのエリア11への送り返しであり、記憶を弄った上での監視なのだと。そしてまた、ルルーシュが記憶を取り戻した時の彼に対する抑えとして、ブラック・リベリオンの後、一人皇室に戻って来たルルーシュの妹ナナリーに対する特別扱いなのだと。身体障害を持つ、ブリタニアでは弱者にしか分類されないナナリーに対する高待遇はそのためのものであると。
 そしてそのナナリーは、行方不明となった兄ルルーシュの身を案じる素振りは見せるものの、その行方を捜させるような態度は何一つ見せてはいない。ナナリーに少しでもそのような態度が見られたならば、シュナイゼルのナナリーに対する視線は冷めたものとはならなかっただろう。愛しいルルーシュが誰よりも慈しんでいる妹である。邪険になど出来ない。しかし当のナナリーに、ルルーシュに対して何の行動を取る様子もなく、ただ安穏に皇族としての生活を当然のものとして満喫している様は、シュナイゼルにとって侮蔑、唾棄すべきものでしかなかった。
 シュナイゼルはロイドやC.C.と共にルルーシュの身柄を秘密裏に確保すべく動いた。
 いかな24時間体制での監視下にあるとはいえ、必ず隙は出来るはず。その隙を逃すことなくルルーシュを手に入れるべく、シュナイゼルはエリア11に腹心の部下を数名送り込んだ。



 そしてある日、玉座の間と呼ばれる大広間に、皇族、貴族、文武百官たちが居並ぶ中、宰相たるシュナイゼルは父たる皇帝シャルルの前に一歩足を踏み出した。
「何事か、シュナイゼルよ」
「お喜びください、陛下、いえ、父上。エリア11で行方不明だった異母弟(おとうと)のルルーシュを保護いたしました」
「何っ!?」
 シュナイゼルの言葉にシャルルは目を見開いた。ルルーシュを監視させている機情からルルーシュが行方不明になったとの報告は受けていたが、まさかその名前がここで出てくるとは思ってもいなかった。驚いたのはスザクもやナナリーも同様である。他の皇族や貴族たちも、彼らとは別の意味で驚きを隠せないではいたが。
「エリア11での大規模なテロ行為に巻き込まれ際に、頭部に怪我を負ったのでしょう、自分の名前以外は記憶を失ってはおりますが、DNA検査の結果からも、我が異母弟たるルルーシュに間違いないとの結論が出されました」
 シュナイゼルのその言葉の後、皇族服に身を包んだルルーシュが、ロイドを従えて玉座の間に入って来た。
「さあ、ルルーシュ、父上にご挨拶を」
 自分の脇までやって来たルルーシュにシュナイゼルがそう促す。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、ただ今帰還いたしました。シュナイゼル異母兄上(あにうえ)の仰られた通り、記憶は戻っておりませんが、ブリタニアの皇子として一日も早く記憶を取り戻し、国のための力になりたいと思っております」
 礼をとってそう述べるルルーシュに、シャルルはただ頷くことしか出来なかった。如何に皇帝といえど、宰相たるシュナイゼルがDNA鑑定までしてこの場にルルーシュを連れ出して来るなどとは思ってもおらず、そんな状況下でルルーシュを否定することも出来なかった。
「ルルーシュの妹のナナリーが暮らすアリエスでは、肝心のナナリーが身体障害を負っている以上、彼女にこれ以上の負担を掛けることは出来ません。ルルーシュには私の宮で記憶を取り戻すための治療を施すと共に、勉学に勤んでもらい、いずれは私の片腕にと思っております」
「……あい分かった。ルルーシュ、今までの分を取り戻すべく勉学に励めよ」
 シャルルは満座の中、そう声を掛けるのが精一杯だった。しかしルルーシュがここにいるならいるで、いずれC.C.がこのブリタニアに戻って来る可能性もある、その時を待てばよい、と方針転換を図ったこともある。
「はい、父上」
 やがてこの日の予定は消化され、皆、それぞれにそれぞれの思惑の元にルルーシュのことを話しながら、大広間を後にした。
 そして同じく大広間を後にしようとしたシュナイゼル、ルルーシュ、そしてシュナイゼルの副官のカノンとロイドに、後ろから声がかかった。
「ルルーシュ」
「お兄さま!」
 スザクとナナリーである。
 振り返った彼らのうち、呼ばれたルルーシュではなくシュナイゼルがスザクに対した。
「枢木卿、皇族たるルルーシュを呼び捨てにするとは、君は自分の立場をなんと思っているのかな」
「えっ?」
「如何に陛下直属のラウンズ、最高位とはいえ、臣下であることに変わりはない、卿に皇族であるルルーシュを呼び捨てにする権利などないのだよ。それは皇族侮辱罪にあたる」
「皇族と臣下という立場をよく考えられることですね」
 カノンがさりげなく口を挟んだ。
「シュナイゼルお異母兄(にい)さま、どうしてお兄さまをアリエスではなくお異母兄さまの宮へと仰るんですか? 私と一緒にいたほうがお兄さまの記憶も……」
 シュナイゼルはナナリーの言葉を遮った。
「ルルーシュは記憶を失っている。これ以上、彼に負担を掛けさせたくないのだよ」
「負担?」
 ナナリーはシュナイゼルの言葉に首を傾げた。
「皇女殿下は記憶を失っているルルーシュ殿下に、またご自分の世話をさせるおつもりですか?」
「ど、どういうことですか、アスプルンド伯爵」
「ルルーシュ殿下を保護した後、エリア11での殿下たちのことを調べたんですよ。七年余りも前、殿下方が日本に送られた当初のことから」
「ルルーシュ殿下はナナリー皇女殿下のために、ご自身が全ての負担を背負っていらっしゃったことが分かりました。ここでまたご一緒にとなれば、ルルーシュ殿下は、そのご性格などを考えれば、ご自分の記憶のことはさておき、皇女殿下の世話にと動かれるでしょう。たとえ侍従や侍女たちがいたとしても。それは記憶を失いそれを取り戻そうと努力されているルルーシュ殿下にとって、余計な負担でしかありませんわ」
「ルルーシュ殿下のことに関しては、殿下の騎士である僕がしっかりお傍でお守りしますから、皇女殿下がご心配なさるようなことはありませんよ」
 カノンに続いてロイドが続ける。
「そんな……」
 ルルーシュが見つかったらまた一緒に暮らせると、この大広間に姿を現したルルーシュにそう喜んだのに、自分はルルーシュにとって負担でしかないと告げられ、ナナリーはどう返したらいいのか分からなかった。けれどルルーシュがいる場所は分かっているのだ、ならば訪ねていけばいい、妹の訪れをルルーシュが拒むはずがないと考えを巡らせた。ルルーシュ以前に、宮の主たるシュナイゼルがナナリーを拒否するつもりでいるなどとは知りもせずに。
「枢木卿も、ルルーシュ殿下の古い知り合いかもしれないが、昔とは立場が違うってことを忘れたら駄目だよ」
 スザクは拳を握りしめた。ユーフェミアを殺したルルーシュが、皇子としてブリタニアに戻って来るなどということは彼は考えてもみなかった。そしてかつての上司から、ルルーシュとの立場の差について釘を刺されたことに唇を噛みしめた。こんなはずじゃなかった、ルルーシュは皇帝が求めるC.C.を釣るための餌として、エリア11で機情の監視の下で何も知らずに飼い殺しにされるはずだったのに何故、とスザクは思う。シュナイゼルたちが全て承知の上であることも知らず。
 彼らの会話が為されている間、ルルーシュは冷めた瞳でスザクを見るだけで、言葉を発することはなかった。



 シュナイゼルの宮に戻った彼ら一行は、シュナイゼルの居間で寛いでいた。そこには大広間にはいなかったC.C.の姿もある。シャルルもスザクも、目当てのC.C.が、彼女がその気配を消していることもあり、こんな近くにいることに気付いてもいない。
「あー、面白かった」
 ソファにだらしなく座ったロイドが一言そう言った。
「皇帝陛下もですが、枢木卿もナナリー皇女殿下も、面白い見ものでしたわね」
 これはシュナイゼルの傍らに立ったままのカノンである。
「確かにね。それはともかくルルーシュ、これから忙しくなるから、そのつもりでよろしく頼むよ」
「はい、シュナイゼル異母兄上」
 ルルーシュはシュナイゼルの己に向けての言葉に首肯した。
 ルルーシュの記憶は既に戻っている。いや、C.C.によって記憶を取り戻したルルーシュをブリタニアに連れ戻したのである。
「以前の君ならともかく、今なら、これからならブリタニアを内から変えていくことが出来る。枢木とは違ってね」
 シュナイゼルは皮肉気な笑みを口元に浮かべた。
 スザクは内からブリタニアを変えると意気込んでいるが、ラウンズとはいえ所詮臣下であり、ましてやナンバーズ上がりの一騎士に過ぎないスザクに出来ることなど、たかが知れている。というより、土台無理な話だ。だがルルーシュはスザクとは違う。立場はもちろん、能力も。
 C.C.からシャルルがルルーシュに対して行った行為を知らされたシュナイゼルは、七年前のことに加えての今回のルルーシュに対する仕打ちに、ルルーシュと共にブリタニアを変えることを選んだ。もちろんロイドも共に。そしてそんな考えに至った自分たちを、C.C.からの言葉があったとはいえ、ルルーシュは受け入れてくれた。この誰よりも愛しい、自分の感情を動かすことの出来るただ一人の存在のために、シュナイゼルは陰で動き出した。C.C.から教えられた、父であるシャルルが長年計画しているというものを潰し、皇帝位から廃し、そしてルルーシュを擁立して新たなブリタニアを創り出すために。
 そうなった時のシャルルや、その双子の兄でC.C.と同じコードとやらを保有している不老不死だというV.V.、そしてルルーシュを裏切ったスザクの顔が見ものだと思いながら、シュナイゼルは自分の横に腰を降ろしたルルーシュの手をとった。
「全ては君のために、ルルーシュ」
 ルルーシュの手の甲に口付けを送りながら、シュナイゼルはその日のことを思い描いてルルーシュに向けて微笑んだ。

── The End




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