真実に迫る者たち




 神聖ブリタニア帝国第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが死んだ。ゼロの手にかかって。人々は興奮の坩堝だった。これで悪逆皇帝の圧政から、悪政から解放されたと。
 しかし時が経って一時の興奮が収まってくれば、不思議に思う者たちが出てくる。
 何故ルルーシュはあれ程に無防備だったのか。暗殺の危機を考えなかったのか。
 かつて某国の大統領はオープンカーでパレード中に狙撃されて死亡した。ルルーシュにもその危険は十分に考えられたのだ。しかるに、彼はオープンカー以上に危険な、完全に身を曝した状態でパレードに臨んでいた。
 服飾に詳しい者は首を捻った。何故ルルーシュはあれ程身動きのし辛い皇帝服を身に纏っていたのか。
 皇帝らしい服装でないとは言わない。しかし、あの衣装はとっさの動きを鈍らせる。
 肩掛けのシンメトリーのマントは右腕の全体を覆っている。右利きであるにもかかわらず、その在り方はとっさの場合の利き腕である右腕の動きを封じることに繋がる。従って、剣でかかってこられた場合、必ずしもそうとまでは言い切れないが、マントのために急所を外すことも可能性としては不可能に近い。
 法律家や政治学者、科学者たちも、ルルーシュの行った執政を検証するにしたがって首を捻った。
 ルルーシュは皇帝となったばかりの頃は、それまでの皇族や貴族たちの既得権を奪い、財閥を解体、ナンバーズ制度の廃止、エリアの順次解放を宣言し、民衆からは“正義の皇帝”、“解放王”と呼ばれていた。
 そのルルーシュが“悪逆皇帝”と罵られるようになったのは、ルルーシュがその身一つで臨んだアッシュフォード学園での、超合集国連合臨時最高評議会における、議長である皇神楽耶の一言からだ。しかし少なくとも、それまで彼は悪逆と呼ばれるようなことは何一つしていなかった。にもかかわらず、何故皇神楽耶は彼を悪逆皇帝と罵ったのか。
 確かにルルーシュは議員たちを人質にとったが、問題はそれに至る過程だ。
 神楽耶はルルーシュを檻に閉じ込め、本来、議会では発言権のない黒の騎士団幹部たちによる、ルルーシュに、ブリタニアに対する悪口、内政干渉と言える発言の数々を止めることなく、つまりはその発言を許した。ルルーシュを責める前に、超合集国連合は彼に対して行ったその行動の誤りを認めるべきである。それがなければ、ルルーシュの騎士である枢木スザクがKMFで駆け付けることも、領海外にいたブリタニアの艦隊が日本に迫ることも、何よりも議員たちを人質にとられるようなことも防げたはずだ。超合集国連合の最高評議会と黒の騎士団は、自らの行為によって議員たちを危険に曝し、ルルーシュに人質として捕らわれる事態を招いたと言っていい。
 また、ルルーシュは己に逆らう町や村、数々の一族を皆殺しにし、億に近い人々を虐殺したという。
 確かにルルーシュの政策に反対する地方貴族などに対する処罰は行われたが、一族や町、村の人々が皆殺しにあったという事実は何処を探しても見当たらない。話の上だけであり、遺されたデータと実態には、著しく乖離が認められる。
 そして億という人口が亡くなったのは確かに事実ではある。しかしそれは帝都ペンドラゴンの消滅以外には在り得ない。そしてその帝都ペンドラゴンの消滅は、己こそが第99代皇帝であると僭称し、帝国宰相シュナイゼルに担がれたナナリー女帝の放ったフレイヤという大量破壊兵器によるもの以外には考えられないのだ。
 つまり、どれもこれも残されたデータは信用がおけず、ルルーシュの悪行を示す実態を伴うものは、何一つないと言っていいのが現状だ。
 そしてあのパレード。
 危険は何一つない、とでもいうようにその身を曝していたルルーシュ。
 だが警備は本当に万全だったのか。ゼロが現れた時の周囲の兵士たちの行動は、本気で皇帝を守る気があったとは到底思えない、形ばかりのお粗末なものだった。結果、簡単にゼロをルルーシュの傍に至らせ、その身を守る者は誰もいなかった。誰よりもルルーシュに対して忠誠心厚いと言われるジェレミア・ゴットバルトでさえ、手をこまねいているように、否、自らの意思で手を出さずにいるようにさえ見受けられた。それは何故か。
 残されている当時の状況を収めた幾つもの映像を改めて検証すると、ルルーシュはゼロに迫られるに至って、懐から銃を取り出してはいたが、ある意味、彼は自らゼロにその身を差し出しているようにしか見えなかった。つまりルルーシュが自らその死を受け入れたことを、映像は証明していた。何故ならゼロに刺されたルルーシュの口元には、微笑みが浮かんでいたのだから。
 物事の表面をなぞるだけでなく、願望の眼鏡を通してものを見るのでもなく、現実をあるがままに受け取ってその本質を捉えるものはなんであろうか。事実と虚偽、現実と幻影を正しく認識するものとは何であろうか。一念をもって信じることが事実をも動かすという考えから、時に人は往々にして一途に思い詰めるが、事実はあくまで揺るぎないものだ。そしてその不動の事実は、全て合理的に判断されるべきものである。
 実際に残されたもの、その場の在り様、そしてルルーシュの死後に訪れた世界の在り様。
 ルルーシュの死後、本来なら混乱すると思われていたにもかかわらず、全てが予定調和のようにスムーズに事が進んでいる。あまりにもスムーズに進み過ぎている。世界を征服した皇帝が死んだ後とは思えぬ程に。
 それらの事実が示すものとは一体なんだろうか。
 全ては予定されていた事、計画されていた事ではないのかという疑問が浮かび上がってくる。とはいえ、浮かび上がってきた疑問を、事実を口に出すのは未だはばかられる状況下にある。
 そしてまた、悪逆皇帝から解放されたと思っている一般大衆は、それらの疑問、事実を受け入れることはしないだろう。
 だが全てはルルーシュの為した事実が、その死が、そして何よりも彼の死後の現実が教えてくれている。
 ルルーシュの死は全て予定通り計画されていた事であり、その死後の現在の世界の在り様もまた、彼の計画の内であることを。
 事実を受け入れた者たちは、未だ口を閉ざし続ける。
 しかしいつか、人々は全てを知るべきである。わずか18歳という、青年というよりは少年といってもいい歳のルルーシュが為したことを。彼が世界に遺したものを思い知るべきである。

── The End




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