幸福論




 ルルーシュはトウキョウ租界の大通りでのパレードで、ゼロに刺されて死んだ、はずだった。
 ところが、気が付けばルルーシュがいるのはアッシュフォードのクラブハウス内にある自室のベッドの上だった。
 一体どういうことだ、とルルーシュは辺りを見渡す。ゼロに刺された感触は、記憶はもちろんのこと、実感としても残っているというのに。
 ベッド脇のナイトテーブルに置かれている時計についている日付は、シャーリーが殺された日から数日後を示していた。ならば己は時を逆行したとでもいうのかと考えた。
 シャーリーを殺したのはロロ。己に対する歪んだ愛情からシャーリーを殺してしまったロロ。
 それを今の己は知っている。
 ならばこれは、神が己に与えてくれたチャンスなのか。しかしそれならば、何故シャーリーが死ぬ前にしてくれなかったのだろうと思う。そうすればシャーリーを救うことが出来たのにと。
 その一方で、それまで人を想うということを、愛することを知らなかったのに、ルルーシュから捨てられるのではないかと、失ってしまうのではないかとの不安から、シャーリーを殺してしまう程に、そして命懸けで己を救ってくれる程に、己を想ってくれたロロのことを思う。
 黒の騎士団に裏切られた己を庇って、心臓に負担を掛けるギアスを酷使し続けた挙句に死んでしまったロロ。
 シャーリーは救えなかった。しかしロロはまだ間に合う。己のためにロロの命を散らせずに済む。
 しかし一体どうすればいいというのか。分からぬまま、ルルーシュは記憶の中の己と同じ行動を取り続ける。今は他の選択肢は見つけられなかった。
 超合集国連合が成立し、最高評議会でブリタニアからの日本── 現エリア11── 奪還が決議された。
 そして日本決戦を目前にして、ルルーシュは枢木スザクと会った。ここまでも記憶通りだ。
「君がユフィにギアスを掛けたのか」
 その問いにルルーシュは答えらえない。
 この時の遣り取りを録音されていたことを、そしてそれが黒の騎士団の己に対する裏切り行為の一助となったのを、今のルルーシュは知っている。
 かといって否定も出来ない。何故なら、意図したものではないとはいえ、それは紛れもない事実だからだ。
 スザクはルルーシュの無言を肯定ととっていた。
「君がユフィに日本人を殺させ、その上、ユフィを殺した」
「……ではあのままユーフェミアに日本人を殺させ続ければよかったというのか?」
 今のルルーシュにはそう答えるのがやっとだった。
 程なくそこにやってきたブリタニアの兵士たちに取り押さえられそうになったルルーシュだったが、そこはあらかじめ身を顰めさせていたジェレミアや咲世子の手によって救い出された。
 ここで初めて、ルルーシュは逆行する前の記憶と違うことをしたのだ。
 果たしてこれが後にどう作用するか、吉と出るか凶と出るか、今のルルーシュには判断しかねるところだった。
 そして始まった第2次トウキョウ決戦。
 かつてはナナリーを救出するために咲世子とロロを送り出したが、今回はしなかった。それをせずとも、ナナリーがシュナイゼルによって救出されるのが分かっていたからだ。
 本来ならばスザクがフレイヤを発射するのも阻止すべきなのだろう。しかし最高評議会の議決の手前、如何に黒の騎士団のCEOといえど、勝手に休戦を受け入れるわけにはいかなかった。ましてやフレイヤを用いての休戦申し入れはスザクの独断であり、ラウンズとはいえ、結局のところ上の命令に従う一個人の申し入れを受け入れるなどということはあってはならない。これがシュナイゼルあたりが言い出したことであるのなら、休戦とまではいかずとも、一時停戦に持ち込み、話し合いの場を設ける口実にもなったであろうが、相手が悪い。そしてスザクは何も分かっていない。戦場の場における己の立場を、誰が指揮官であり決定者、責任者であるのかを。
 だからルルーシュは多数の被害が出ると分かっていて、スザクがフレイヤを撃つのを止めることはしなかった。出来なかった。それが己にとっても大きな罪となると分かっていても。
 そうしてフレイヤは撃たれた。政庁を中心としてトウキョウ租界に大きなクレーターを生み出し、その中にいた全てのものを消滅させて。
 混乱の中、ルルーシュは全軍に対して冷静に一時撤退を指示した。
「兄さん、良かったの? ナナリーのこと、心配じゃないの?」
 斑鳩の自室に戻ったルルーシュに、己の不安を押し隠してロロは心配げに尋ねてきた。
「いいんだ、無事なのは分かっている」
「え? 分かっるって、どういうこと?」
 不思議そうな顔をしているロロに、ルルーシュはC.C.を連れて倉庫に行き、蜃気楼の中に待機しているように告げた。
 蜃気楼は複座ではない。そしてゼロたるルルーシュの専用機だ。その蜃気楼に、しかもC.C.と一緒に乗って待機しているようにという、余りにも不可思議な指示に、ロロは首を捻りつつも兄の言う通りにした。
 やがて斑鳩に、外交特使としてシュナイゼルがやってきた。
 前回は己を抜かして幹部たちのみで行われたその会談に、ルルーシュはジェレミアと咲世子を伴って出席した。
 会議室にはフレイヤによる混乱の中、閉じ込められていた部屋から脱出したコーネリアの姿もあった。
 ゼロの登場にシュナイゼルは驚いていた。はっきりと顔に出していないのは流石だが、それでも幼少の記憶のある己には多少のことでも見えることはある。おそらく、ナナリーの安否を心配して混乱し、冷静に会談に臨んでくるなどとは思っていなかったのだろう。そしてまた、ルルーシュに辺境伯たるジェレミアが付き従っていることにも、端には見えずとも驚きを隠せずにいた。
「久し振りだね、ゼロ。いや、ルルーシュと言うべきかな、我が異母弟(おとうと)よ」
 シュナイゼルは内心の驚きを隠して、そうはっきりと告げた。
「ゼロがシュナイゼルの異母弟だと!?」
「ではゼロはブリタニアの皇子だというのかっ!?」
 シュナイゼルの言葉に、幹部たちが一様に驚き、動揺を見せた。
「私が貴方の異母弟? 妙なことを仰いますね、ブリタニアの宰相ともあろう方が」
「妙なことなどではないよ、事実だろう? それだけではない。君がギアスという異能の力を持っていることも承知している」
「ギアス?」
「何だ、それ?」
「一種の、強力な催眠術のようなもの、と言ってもいいでしょうか。人を己の意のままに操る力です。ゼロは、いや、我が異母弟たるルルーシュはそんな力を持っています。それはラウンズの枢木卿がよく承知していること。そしてまた、ゼロがギアスを掛けたと思しき人物に関しての資料もあります」
 そう言って、シュナイゼルは副官のカノンに資料を配らせた。
 その中には“行政特区日本”で日本人虐殺を行ったユーフェミアや、中華の宦官、日本解放戦線の片桐少将らもあった。その見せられたリストに幹部たちが息を呑む。
「特区での虐殺は我が妹ユフィがやったものではない。そこにいるゼロこそが真犯人だ!」
 ゼロを指さしてコーネリアが叫ぶ。
「ゼロが特区虐殺の真犯人だと……」
「そんな馬鹿なっ!!」
「しかし、このリストにある人物たちに、シュナイゼル宰相の言うようにゼロが人を意のままに操る力を持っていてその力を行使したのだとしたら、納得がいく部分も多々ある」
「ゼロッ、どうなんだ!?」
「シュナイゼルの言っていることは事実なのか!?」
 幹部たちの視線がゼロに集まる。
 ゼロはその後ろに控えるジェレミア、咲世子共々、静かだった。
「シュナイゼルの言うことは事実だ!」
 突然扉が開き、黒の騎士団の事務総長である扇が入って来た。その後ろにはヴィレッタがいる。
「ゼロには人を操る力がある! 彼女もその被害者の一人だ!」
「扇……」
「ゼロ、何か言えよ! 本当のところはどうなんだよ!?」
 ゼロは静かに椅子から立ち上がった。
「ゼロ?」
「私が何を言ったら君たちは私を信じると?」
 ゼロの静かな問い掛けが会議室内に響き渡る。
「ゼロッ!」
「何か言ってくれよ、どっちを信じたらいいのか分かんねぇよ」
 泣きごとのように玉城が言葉にする。
 だがシュナイゼルの言葉に、見せられた資料に、そして事務総長たる扇の言葉に、殆どの者がひきづられていた。それが今のルルーシュには冷静に見てとれる。
「私が何を言おうと、もはや君たちは私を信じはすまい。私は黒の騎士団のCEOの座を降りる。後は君たちの好きなようにすればいい」
 そう告げて、ゼロは幹部たちが呆然とする中、ジェレミアと咲世子を連れて会議室を後にした。
 その様にはシュナイゼルたちも肩透かしを食ったような顔をしていた。
 会議室を出たルルーシュは、4番倉庫に向かうと、ジェレミア、咲世子、そしてあらかじめ、C.C.を連れて蜃気楼に乗っているようにと告げていたロロたちと共に斑鳩を後にした。
 残された幹部たちは呆気にとられ、それから正気に戻って、扇は蜃気楼とサザーランド・ジークの後を追わせた。
 全てブリタニアの宰相シュナイゼルの告げた通りだったのだ、だからゼロは黒の騎士団を捨て逃亡したのだと判断した。
 しかしその判断を下すまでの間が、ゼロことルルーシュたちをうまく逃がした。
 扇たちが蜃気楼の後を追わせようとした時には、既にその姿は目視では確認出来なくなっていた。
 斑鳩を脱したルルーシュたちは、一路、神根島を目指した。そこには現ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアがいるはずである。
 ルルーシュはシャルルたちの計画だけはなんとしてでも阻止しなければならないと考えていた。それさえ済めば後はどうなろうとも構わない。ただこんな己に付いてきてくれた彼らが無事であるならば。その思いで、他の者を外に残してただ一人、遺跡の中に入っていく。
 そこには思った通り、否、記憶通りというべきか、シャルルの姿があった。
「ルルーシュか」
 仮面を外して素顔を曝したルルーシュにシャルルは呼び掛けた。
「何をしようとしているかは分からぬが、もう全て遅い。我が計画は予定通り進行している」
「貴方方の思うようにはさせません。貴方方がしようとしていることは、人類にとって最強最悪の愚かな罪だ」
「そなたは儂が何をしようとしているか、知っているとでも言うのか」
 驚きを隠せないようにシャルルが目を見開く。この場にいるのがシャルル一人であるにもかかわらず、ルルーシュが“貴方方”と複数形で言ったのにも驚きを見せた。
「ラグナレクの接続、神殺し。貴方方の思惑通りにはさせない。
 神よ! 人の集合無意識よ! 人類に未来を! 愚かな一握りの人間の思いで時間(とき)を刻むのを止めないでくれ!! 俺は、明日がほしい!!」
 そう叫び、ルルーシュは人の集合無意識、すなわち神に、命令ではなく、力強く、願いという名のギアスを掛ける。左目だけではなく右目までもギアスの朱に染めて。
 ルルーシュの言葉の前に、Cの世界の中でほぼ育ち終えていたアーカーシャの剣がボロボロと崩れていくのがシャルルの目に映った。
「アーカーシャの剣が!? これは一体どうしたことだ!? ルルーシュ! そなたはっ……!!」
 叫びながらルルーシュに掴みかかろうとしたシャルルの躰が、何かに呑み込まれるかのように下肢から消滅し始めていた。
「何としたことだ、これは!?」
「神が俺の願いを受け入れたということでしょう」
 そう冷静に告げるルルーシュの前で、シャルルの姿が次第に消え失せていく。
 精神体だけアーニャ・アールストレイムの中で生きているはずのマリアンヌのことも気になりはしたが、マリアンヌのその現状を考えれば、ラグナレクの接続に関しては、おそらく何をすることも出来まいと判断した。ましてやアーカーシャの剣は既に崩れ去ったのだから。
 その様を見届けたルルーシュは、ジェレミアやロロたちの待つ表に出た。
「目的は達した」
 ルルーシュが静かに告げる。
「後はそれぞれの望む道を歩んでくれ」
「私はルルーシュ様に仕える騎士です。どうぞお傍に」
「私もルルーシュ様に仕える女です。私の望みはルルーシュ様のお傍にあること」
「兄さん、僕は兄さんの弟だよ、例え何があっても」
「ご主人様、私はご主人様のお傍にいたいです。いけませんか?」
 それぞれがそれぞれの意思で、ルルーシュの傍にあることを願うという。ルルーシュはそれに対して否とは答えられなかった。
 これから先、シャルルを失ったブリタニアや、ゼロを失った黒の騎士団を含めて、超合集国連合がどういった道を歩むのか知れない。結果としてシャルルを消したことは同じだが、既にルルーシュはかつてとは異なる道を選んだのだから。
 ルルーシュは一つ大きく頷くと、島を離れるべく蜃気楼へと乗り込んだ。その後にはジェレミアたちが続く。
 ナナリーのことが気にならないと言えば嘘になる。だがこのままブリタニアに戻れば、嫌でもナナリーと敵同士として立ち向かうことになるだろう。シュナイゼルが保有しているフレイヤのこともある。
 しかしルルーシュは、確かにナナリーとの対決を避けることも要因の一つとしてあったが、ブリタニアでもエリア11── 日本── でもない、別の新しい場所へと向かう。
 これからこの世界がどうなろうと、もう己には関係ない。少なくとも、神を殺し、人類の意思を一つに統合するというシャルルの野望だけは止めたのだから。後は残された人々が考え、対応すべき事柄だと考える。
 だからこれから先も己に付いてきてくれるという彼らに幸福があることだけを願って、他の誰も知らぬ世界の果てで、彼らと共に生きていくと決めた。

── The End




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