唯一の存在




 神聖ブリタニア帝国第2皇子シュナイゼルは優秀だった。否、優秀すぎた。故に自分以外の存在を見下しているようなところが、幼い頃から見受けられた。しかし皇室という特殊な場所での生活の中、シュナイゼルは自分の優秀さを隠すようなことはしなかったが、他の相手を見下しているようなところを見せることもなかった。それは己の不利益を招きかねないことだと、早々に自覚していたためだ。
 周囲に比べて優秀すぎたために、シュナイゼルは世の中をつまらないものと捉えてしまった。それもかなり早いうちに。それがシュナイゼルの後天的な虚無という性質を育んでいった所以だろう。
 そんなシュナイゼルにとって、ただ一人、例外が存在した。
 10歳余りも年下の異母弟(おとうと)、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアである。
 周囲を見下していたとはいえ、それなりの世間の付き合いというものは考えて、対人関係を築いていたシュナイゼルは、これも異母弟にあたる第3皇子クロヴィスから、ルルーシュの存在を教えられた。もちろん、その存在そのものは頭の片隅にあったが、ただあっただけで特に意識をした存在ではなかった。もっともシュナイゼルが意識を向ける存在というものは、それまでにも存在していたことはなかったが。
 ある日の茶会で、クロヴィスの、チェスを教えてまだ間もないというのに自分がまだ幼いルルーシュに負け続けているという愚痴を聞かされて、シュナイゼルは初めてその異母弟── ルルーシュ── に興味を覚えた。
 そうしてクロヴィスと共に訪れたアリエス離宮で出会ったルルーシュは、“閃光のマリアンヌ”と謳われる第5皇妃マリアンヌの面差しによく似た、ブリタニア人には珍しい艶のある漆黒の髪と、そして父である皇帝シャルルに、おそらくはもっとも近いだろうロイヤル・パープルと呼ばれる紫電の瞳を持つ、綺麗な子供だった。そしてまだ幼いながらも、その瞳には知性の閃きを感じさせるものが既に宿っていた。
 テラスに用意されているテーブルを囲む椅子の一つに腰を降ろしながら、シュナイゼルはルルーシュに告げた。
「クロヴィスから君がチェスに強いと聞いてね。一度対戦してみたいと思って押し押し掛けさせてもらったよ」
「そんな、強いなんて……」
 ルルーシュは頬を赤らめてハニカミながら答えた。
「クロヴィス異母兄上(あにうえ)に教えていただいた通りにやっているだけです」
「でもそれで今はもうクロヴィスに負けなしなのだろう? 大したものだと思うよ。で、どうだい、私と一度」
「僕なんかでよろしければ喜んで」
 そう答えたルルーシュの輝くような笑顔に、シュナイゼルは一瞬見惚れた自分を自覚して、何を馬鹿な、と慌ててそんな自分を否定した。
 その日をきっかけに、シュナイゼルは時折アリエスを訪れてはルルーシュに手解きしながらチェスを楽しむ日が増えた。自分の相手と認めるに相応しいと思える者が既にいない中、この異母弟は十分楽しませてくれそうだと、その成長ぶりに目を見張った。
 しかしそれは、アリエスの悲劇と呼ばれる、ルルーシュの母である第5皇妃マリアンヌの暗殺によって終わりを告げた。
 母を失ったルルーシュとその妹のナナリーは、皇帝によって開戦がほぼ決定的となっている日本に、人身御供の人質として送り出されてしまったのである。
 その頃には、唯一となっていたシュナイゼルの興味の対象であったルルーシュという存在の喪失に、シュナイゼルの中に残っていた、所謂人間らしさがまた一つ消えたのを、その時のシュナイゼル自身も自覚してはいなかった。



 エリア11、かつての日本に現れた謎の仮面のテロリスト、ゼロと彼の率いる黒の騎士団は、時の副総督である第3皇女ユーフェミアの突如の乱心による、彼女の唱えた“行政特区日本”における日本人虐殺をきっかけとして始まった一斉蜂起── ブラック・リベリオン── に敗れた後、一年の時を経て再びその存在を顕著にした。
 しかし新しい総督となった第6皇女ナナリーが再度唱えた“行政特区日本”の再建を前に、ゼロは黒の騎士団の団員をはじめとして、ブリタニアへの恭順を拒否する、いわば反乱分子100万人を連れて、エリア11を合法的に脱出し、中華連邦の所有する蓬莱島へと身を引いた。しかしそう日を置かずにその中華で行われた、第1皇子オデュッセウスと中華の象徴である天子の婚約披露パーティーに、蓬莱島に合衆国日本を()ち上げ、その代表となった皇神楽耶をエスコートしてゼロは現れた。
 ゼロという存在は、シュナイゼルにとってここ暫くなかった興味を引く存在だった。シュナイゼルの、己自身()くしたと思っていた感情を揺り動かした存在だった。
 ブリタニアの精鋭を打ち破り、“ブリタニアの魔女”と異名をとった第2皇女コーネリアを地につかせた男。結局その時は最終的にゼロは枢木スザクによって捕えられ、黒の騎士団の敗北に終わったが、復活したゼロは捕らわれの身であった黒の騎士団員を策をもって解放し、奸計をもって自分を支持する人々と共にエリア11を離れて、合衆国日本という、小さいが確かな独立国を創るに至った。それ程の頭脳を持つ人間の存在に興味を持つなという方が、シュナイゼルには無理だった。今までそこまでの敵対者には出会ったことがなかったから。
 そしてパーティーの余興として始められたシュナイゼルとゼロのチェス対戦。
 シュナイゼルはゼロの駒の進め方に、何処か既視感を覚えた。
 その対戦は、ゼロの存在に乱心したニーナ・アインシュタインの乱入により中断されたが、シュナイゼルのゼロに対する興味をさらに強くするものとなった。
 翌日のオデュッセウスと天子の結婚式に姿を見せて天子を浚ったゼロたちとの一戦を終えて、中華から引き上げたシュナイゼルは、過去のゼロの戦い方などを改めて調べさせた。それはチェスの駒の動きを思わせるものでもあり、相当の頭脳明晰さを誇る人物であるとの思いを強くし、また、その動き、作戦は、シュナイゼルにかつての何かを思い出させるものがあった。
 決定的となったのは、超合集国連合を創り上げ、その外部組織として黒の騎士団を超合衆国連合の唯一の戦闘集団とした彼らの、エリア11への侵攻である。
 超合集国連合側に言わせれば日本奪還ということになるが、それを前にして枢木スザクの前に姿を見せた人物に、シュナイゼルはもしやと思っていたことが事実であったことを知り、諸々の感情が一挙にシュナイゼルを襲った。それはシュナイゼル自身にもこれまで経験のなかったような感情の放流であり、彼をして狼狽えさせるものがあったが、事実を知ったシュナイゼルは、その感情に何という名前を付けたらよいものかは分からぬまま、しかしシュナイゼルの感情を動かしたその存在── ゼロ、こと、亡くなったと思っていた異母弟のルルーシュ── を手に入れるべく動いた。
 トウキョウ租界の戦いの中、枢木スザクは政庁に向かって新兵器である大量破壊兵器フレイヤを放った。それは政庁を中心として租界に巨大なクレーターを造り出し、敵対者である黒の騎士団だけではなく、それ以上に本来守るべきブリタニアの民間人に多数の死傷者を出した。
 敵味方共に大混乱の中、シュナイゼルは副官のカノン・マルディーニを伴って黒の騎士団の旗艦である斑鳩に外交特使として訪れた。
 そこでブリタニアを出奔し行方不明となっていたコーネリアと出会い、互いに情報を交わし、そしてゼロのいない黒の騎士団幹部たちとの話し合いの場を持った。
 シュナイゼルは静かに、黒の騎士団幹部たちに告げた。
「ゼロは私やこのコーネリアの異母弟です。神聖ブリタニア帝国元第11皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。私が最も愛し、恐れた男です」
 そう言葉にしながら、シュナイゼルは改めて自分のルルーシュに対する感情を理解した。自分がルルーシュに対して抱いている感情の名は、愛情なのだと。
 シュナイゼルの言葉に、黒の騎士団の幹部たちは紛糾し慌てふためきだした。自分たちのトップがこともあろうに敵対する国の元皇子だというその事実に、これまでにルルーシュが為してきたことを忘れたかのように。
「彼を、私の愛しい異母弟を私に返していただけませんか」
 シュナイゼルは言葉に乗せるごとに、己の感情を確信していく。自分はルルーシュを己の手元に置きたいのだと。自分の傍に置いて慈しみたいのだと。
 正体不詳の仮面の男などではなく、このような、今目の前で繰り広げられている愚かな様を見せるような黒の騎士団の中になどではなく、今は亡き彼の母親によく似た素顔を出して、自分の隣にあって欲しいのだと、シュナイゼルは強くそう思う。
 かつて友人のはずの、ルルーシュを皇帝に売ってラウンズとなった枢木スザクも、その愛情を一身に受けながら何も気付いていない妹のナナリーも、その昔ルルーシュを捨てた、ルルーシュが誰よりも憎んでいるであろう皇帝もどうとでもしてやろう。それをルルーシュが望むなら、あるいは、ルルーシュを自分の傍に置くことに邪魔な存在になるのなら、力をもって排除してみせよう。
 これまでなにものにも、誰にも執着を見せたことのなかったシュナイゼルは、ここに至って初めて他の何をおいても執着する存在を見出した。それを手に入れるためならば何でもしてみせようと思う程に。
 シュナイゼルの綴る言葉に驚愕の表情を見せるコーネリアを視界の端に捕えながら、コーネリアにとってはゼロたるルルーシュは、溺愛していた妹のユーフェミアを、“虐殺皇女”の汚名を着せて殺した憎い仇だろうが、自分にとってはルルーシュこそが誰よりも愛しい存在なのだと気付いた今、邪魔な存在になるなら、コーネリアとて排除してみせようと考える。
 今のシュナイゼルにとってはルルーシュに勝る存在はなく、ルルーシュを己の手に納めるためならば、どんなことでもしてみせようとの強い思いがある。
「私の愛するルルーシュを、返していただけますね」

── The End




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