現在、ブリタニアの第5皇女カリーヌは政治について勉強中の身であったが、ふと思い立ってエリア11を訪れた。エリア11の総督となったナナリーが如何にエリアを治めているかを、自分の目で見てみようと思ったのである。
ナナリーは第6皇女であり、カリーヌより一つ下になる。もっとも継承順位で言えば、庶民出の母を持ち、かつ、目と足が不自由な、言ってみれば皇室内では弱者といっていいナナリーは底辺に近いのだが。 そんなナナリーがエリアの総督を務めている。自分は未だ勉強中の身であるにかかわらず。
そしてそんなナナリーが、何故エリアの総督になりえたのだろうとカリーヌは考えてみる。
ナナリーは母を失った後、兄であるルルーシュと共に、日本に親善のための留学生という名の、態のいい人質として送られた。その後、ナナリーたちの存在を無視してブリタニアは日本と開戦し、日本は僅か一ヵ月余りで敗戦、ブリタニアの新しいエリア、すなわち植民地── エリア11── となった。その際、ナナリーたち兄妹は死んだものとされ、皇籍上も鬼籍に入っていた。それが一年程前に、ナナリーだけがひょっこり皇室に戻って来たのだ。
そして何ら政治の勉強をしていたようにも見受けられないのに、父である皇帝はナナリーの「総督としてエリア11に向かいたい」との願いを聞き入れた。
ナナリーがそれを願い出たのは、それだけとは言い切れないかもしれないが、行方不明の兄を捜したいというとても私的なものであって、そんな私的感情によって総督の地位を得たナナリーを、カリーヌは同じ皇室に在る者として軽蔑した。そんな感情から総督になどなってほしくなかったし、なるべきではないと考えた。それは政治を、それによって治められる民を蔑にする行為だ。
しかし皇帝はそれを認めた。 そこにどんな思惑があってのことかは知る由もないが、きっと何か、おそらくはナナリー自身も知らない事実があるはずだとカリーヌは思った。そうでなければナナリーのエリア11総督就任の理由がないからだ。
そのことにナナリーは気付いているのだろうか。気付いていないとしたら、ただ願いが叶えられたと喜んでいるだけだとしたら、お目出度い話である。そしてそんな総督を得たエリア11に住まう民は、とても不幸なことだと、カリーヌはそう思った。
エリア11に降り立ったカリーヌは、SPを引き連れて租界内を歩いて観て回った。
活気はある。ただしそれなりにでしかないが。それは租界に住む人口を考えれば十分に予想される範囲内のものであって、決してそれ以上ではない。
ではゲットーはどうなのだろう。
カリーヌは適当な店── カフェ── に入り、SPの数人をゲットーに行かせた。
店でゲットーに差し向けたSPを待つ間に、店内にいる他の客たちの会話に耳を澄ます。
それらの会話の中に、政治に関する話題はない。もちろん、総督であるナナリーの話も。
エリア11に来る前に、カリーヌは調べられる範囲で前もってエリア11の様子を調べていた。
そこで出て来た事実は、カリーヌにとっては馬鹿らしいものだった。今は亡き第3皇女ユーフェミアが唱えた“行政特区日本”を再建しようとして、テロリストである黒の騎士団に協力を求め、けれど結果としては協力を得ることは叶わず、それどころか合法的に彼らと彼らに同調する者たち── いわば反乱分子── を国外脱出させただけだ。つまり、ナナリーのやろうとした行政特区とやらは話だけで終わって失敗したのである。
テロが盛んだったエリアとはいえ、肝心の反乱分子がいなくなればナンバーズたちが大人しくなるのは当然のことだ。しかしナナリーはそれを自分の手柄のように考えている節が見られた。
私が彼らを大人しくさせたんです、民心は落ち着いています、エリア11を矯正エリアから衛星エリアに格上げしてくださいと。
カリーヌは反吐が出る思いがした。なんて馬鹿な娘と。そしてそんな総督を戴くエリアは不幸だと思った。
そんな中、店の片隅で交わされる会話が、ふいに耳に入ってきて、カリーヌは耳を欹てた。
「なんだってあの総督はナンバーズにばかり優しい政策を立てて、俺たちブリタニア人を無視するんだ。例の特区のために税金は上がって、租界にいるブリタニア人の中にだって困ってる人間はいるし、問題だってあるっていうのに、俺たちのことを何一つ考えてくれない」
「仕方ないさ、何せ一度は潰れたその特区を提唱したような方だ。その上、傍にいて補佐をしてるのがラウンズだって偉そうな顔してたって、結局はナンバーズ上がりなんだから、当然といえば当然だろうさ」
こそこそと交わされるその会話に、カリーヌはやっぱり、という顔で頷いた。
ブリタニア本国の宮廷の中でも、エリア11は悪い意味でよく噂になっていた。総督であるナナリーがナンバーズに対する政策ばかり推し進めて、ブリタニア人を、租界を見ていないと。ナナリーにとって大切なのは、考えるのはナンバーズのことだけで、肝心のブリタニア人は、そしてそのブリタニア人の住む租界については疎かにされていると。
ゲットーの整備をするのはいい、ナンバーズのことを考えるのも決して悪いことではない。しかしブリタニア人を無視するのはいただけない。自分たちは民あってこそ、その上に立つ皇族なのだから。税金を納めている者たちを蔑ろにするような政策ばかり進めるのは、決して誉められたことではない。総督が一番に考えるべき存在は、そのエリアに入植し、税金を納めているブリタニア人と、彼らが住まう租界のことであるべきなのだから。
数時間してカリーヌの元に戻って来たSPの報告もまた、カリーヌの想定内だった。
ゲットーの住民は大別して二種類に分けられる。
一つは抵抗を諦めてブリタニアの支配に甘んじることを認めた者。そしてもう一つは、中華連邦に脱したゼロが、黒の騎士団を率いていつか戻って来て、ブリタニアの支配から解放してくれると信じて待っている者。そして両者とも、現在の総督によるゲットーの整備については、生活がいくらかマシになったと認めているものの、感謝などしていないということ。何せ相手は武力で日本を征服し、支配しているブリタニアの皇族なのだから、ある意味、当然のことだろう。
だから以前のようなテロ行為が沈静化しているといっても、ナナリーのしていることはイレブンから感謝などされていないし、歓迎もされていない。寧ろナナリーの傍にいる、元は同じイレブンのはずのラウンズ、枢木スザクに対する反感で── 何せ彼はイレブンの希望だったゼロをブリタニア皇帝に売って出世した男、つまりイレブンにとっては裏切り者だ── ブリタニアの皇族に対しては悪感情の方が増しているらしい。
ほんの僅か数時間の簡単な調査であったにもかかわらず得られたそれらの報告に、カリーヌは「やっぱりね」といった顔で口角を上げて嘲笑った。
その夜は、カリーヌは予約を入れておいたホテルに宿泊し、政庁には顔を出さなかった。元々来訪の知らせをしていないのだから、カリーヌにしてみれば何の問題もない。
そして翌日、カリーヌは朝食を摂って一息入れた後、何の前触れもなく政庁に顔を出した。
第5皇女の突然の訪問に、政庁に勤める職員たちは大慌てだった。そんな職員たちの慌てぶりを余所に、ナナリーは総督執務室で嬉しげにカリーヌを出迎えた。
「エリア11へようこそ、カリーヌお異母姉さま。事前にご連絡いただければお出迎えいたしましたのに」
のんびりと、そしてカリーヌの来訪を嬉しげにそう告げるナナリーに、カリーヌは呆れ顔で返した。
「貴方がどんなふうにエリアを治めているか、この目で確かめたくてやって来たのよ。結果はほぼ私の思った通りだったわ」
「テロ行為も殆どなくなりましたし、私、上手く治めていますでしょう? もっともそれは私一人の力ではありませんけれど」
「貴方って本国にいた私に分かったことが、そして昨日ほんのちょっとの時間、臣下を使って調べられたことが、このエリアに総督として身を置きながら何も分かっていないのね」
「どういうことですか?」
カリーヌの言葉に、ナナリーは自分は何か間違っているのだろうかと、小首を傾げながら疑問を持って尋ね返した。
「このエリアが今無事にあるのは、貴方や貴方の傍にいる誰かさんのおかげじゃなくて、中華に移ったゼロのおかげだってことよ」
そんなことも分からないのかと、言外に含みを持たせてカリーヌはナナリーに答えたのだが、ナナリーにはその意図を理解出来ないようだった。
「貴方、本当に何も理解っていないのね。呆れを通り越して溜息しか出ないわ」
ナナリーの戸惑いの表情に、カリーヌはナナリーに対して蔑むような視線を向けた。
「お異母姉さま……?」
「イレブンは大きく分けて二種類。一方は自分たちはブリタニアに敗れたのだからその支配を受けるのは仕方ないと諦めた者たち。もう一方はゼロが戻って来ることを待っている者たち。貴方はイレブン寄りの政策ばかり進めて悦に入ってるようだけど、彼らはそのことに感謝もしていないわ。だって、もともとそれまでの生活をブリタニアによって奪われたんだから、当然と言ってもいいことよね。
そして問題はイレブンだけじゃない。租界に住むブリタニア人もよ。
臣民の税金で生活している皇族が、そんな臣民を無視してイレブン寄りの政策ばかりとって、自分たちのことを見てくれないって、不満が出てるの、気が付いていないの?」
「わ、私はそんなつもりは……」
「ない、とでも言うつもり? でも実際にそういう不満が出てるのよ、貴方の考えなしの政策のせいで」
カリーヌは明らかにナナリーを見下している。そうと見て取ったスザクが言葉を挟んだ。
「怖れながらカリーヌ皇女殿下、ナナリー総督はこのエリアを治めるために頑張っていらっしゃいます。イレブン寄りの政策が主になってしまっているのは、総督の補佐を務めている僕の力が足りないためで、総督の責任ではありません。僕の至らなさが原因で……」
「このエリアの総督は貴方じゃなくてナナリーよ!」
カリーヌは声を張り上げてスザクの言葉を遮った。
「最終的な責任は良しも悪しも全て総督にあるのよ。そのくらい分からないの? なら貴方もナナリーに負けず劣らず相当な馬鹿ね」
「!!」
カリーヌの物言いに、スザクは半ばは怒りで、そして残りは羞恥から顔を赤らめた。
「お異母姉さま、言い過ぎです。スザクさんは悪くありません。全ての責任は私にあるのですから」
ナナリーはカリーヌの言葉の全てを理解出来ぬものの、流石にカリーヌがスザクを責めているのだけは分かって彼を庇う発言をした。
「スザクさん、ですって? 貴方、皇族でありこの地の総督である自分の立場と、臣下であるそこのナンバーズ上がりのラウンズとの身分の差を分かってないんじゃなくて? 流石は庶民出の母親を持っているだけのことはあるわね」
嘲笑が込められたカリーヌのその言葉に、ナナリーはどう返したらいいのか分からず、口を開いたまま何も言えなかった。そしてそれはスザクも同様だった。
「今回見聞したこのエリアの状況については、帰国次第、皇帝陛下にご報告申し上げるわ。如何に貴方が総督という地位に相応しくないかをね」
「殿下っ!」
「お異母姉さま、私は、私は……」
「結局貴方は為すべきことを何もしていないダメな総督よ。それにこの地にやって来た貴方の一番の本当の目的、ルルーシュお異母兄さまを捜すことだって、実際には何もしてないんでしょう?」
「そ、それは……」
ナナリーは言葉を詰まらせた。カリーヌの言うことは事実だ。皇帝である父から、そしてラウンズとなったスザクからもアッシュフォードに近付くことを禁じられて、唯一の手がかりに接触することも出来ず、結果、ルルーシュを捜し出すための行動は何も取れていない。
「もともと行方不明のお異母兄さまを捜したいから、なんていう不純な動機で総督に志願した貴方に問題があったのよ。そんな私的な目的のためにエリアの総督になることを志願するなんて、公私混同もいいところ。そんな総督の下で、臣下が納得して十分な働きをするはずもないわ」
「お異母姉さま! それでも私は総督としてこのエリアのためになることを……」
「ナナリー、言葉は正確に言いなさい! このエリアのためではなくて、このエリアに住むイレブンのため、でしょう? 貴方の取っている政策はブリタニアのためのものじゃない。貴方の行為はブリタニア本国に対する裏切りも同然よ。碌に政治についても、帝王学についても学んでいない貴方が総督を務められると思うなんて、烏滸がましい! もっと身の程を弁えなさい!」
「殿下、総督は……」
「黙りなさい! 貴方に発言を許した覚えはなくてよ」
カリーヌはスザクを一喝した。それによりスザクは何も言えなくなってしまった。
「とにかく、先にも言ったようにこのエリアの現状、貴方のやっていること、やらずにいること、全て陛下に報告します。首を洗って待っているといいわ。身の程知らずに総督ごっこをしている名前だけの皇女様」
ナナリーを貶めるカリーヌの言葉に、発言を禁じられたスザクはただ力一杯に拳を握りしめて発言したいのを我慢した。
「お異母姉さま!」
自分にはやりたいことがある。それは兄を捜すことだけではない。この地を優しい場所に、皆が笑って過ごせるエリアにしたいのだ。それをどう告げればカリーヌが納得してくれるのか、言いたいけれど上手い言葉が見つからなくて、ただ「お異母姉さま」と呼び掛けるしか出来ないナナリーだった。
そんなナナリーとスザクを無視して、カリーヌは最初から脇に控えて無言を通しているローマイヤに視線を向けた。
「Ms.ローマイヤだったわね」
「はい、カリーヌ皇女殿下」
呼ばれてローマイヤは腰を折った。
「色々とこの不出来な異母妹と呼びたくもない異母妹のために大変な思いをしているでしょうけれど、貴方のその苦労もあと少しの間のこと。もう暫くの間、よろしく頼むわね」
「畏まりました」
ローマイヤは恭しく、深々とカリーヌに向かって頭を垂れた。
それに満足そうに頷くと、カリーヌは自分に何か言いたげにしているナナリーと、悔しそうな表情をしているスザクに目もくれずに総督執務室を後にして、そのまま帰国の途についたのだった。
── The End
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