逆行の先




 ロイド・アスプルンドは夢を見ているのかと思った。
 しかし、カーテンの隙間から入って来る日差しの仄かな温かさに、夢ではないと知らされる。
 今ロイドがいるのは、帝都ペンドラゴンにある屋敷の、自分の寝室である。
 壁に掛けられているカレンダーの皇歴を確認しつつ、姿見に映る自分を見る。その姿は記憶よりも若くなっていて、カレンダー通りの皇歴ならば、正しく大学を卒業したての自分の姿である。
 次いで携帯を手にして日付を確認した。
 その日付が正しければ、それはあの子供が修羅の道を歩むきっかけとなった日である。
 ロイドは急いで身仕度を済ませると宮殿へと向かった。
 向かう先は数多くある離宮の一つ、アリエス離宮。しかしロイドが訪ねるのはその宮の女主人ではなく、今日からその離宮の警備についている一人の男である。
 ロイドは辿り着いたアリエス離宮で、警備に当たっているその男を見つけ出し、声を掛けた。
「ジェレミア・ゴットバルト卿」
 声を掛けられた男が振り向いた。
「今の私はまだ卿と呼ばれる身分ではない。士官学校を卒業したての若造だ、ロイド・アスプルンド伯爵」
「それを言うなら僕もまだ伯爵位を継いではいないよ。で、僕をそう呼ぶってことは、君もあるのかな?」
 何が、とはロイドは口にはしなかった。しかしジェレミアはそれが分かっているのか、鷹揚に頷いた。
「今朝目が覚めて驚いた」
「僕もだよ。で、あの方は?」
「まだお会いしていない」
「じゃ、次の質問。君の主は誰だい?」
「あの方以外に誰がいるというのだ」
 ロイドはジェレミアの答えに満足そうに頷いた。
「そういうことなら、僕らは同志ということでいいのかな?」
「……」
 ジェレミアは黙って頷いた。ロイドの言いたいことが分かっているというように。
「じゃあ早くあの方にお目にかかろう。どういう方針でいくか、あの方にお会いしてからでないと決められない。あの方にあるかどうかは分からないけれど」
「そうだな」
 二人は頷き合い、離宮の中に足を踏み入れた。そして侍従の一人にこのアリエス離宮の女主人の長子への面会を申し入れた。約束を取り付けてもいない臣下の突然の申し入れであれば、拒絶される可能性は高かったが、時間的にも他の方法を取りようがなかったのである。
 しかし侍従は、
「殿下より承っております。ご案内いたします」
 そう告げて、二人を宮の奥へと案内すべく歩き出した。
 侍従のその言葉に、あの方にもあるのだと、二人は互いに見あって頷き合った。
 案内されたのはこの神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの私室だった。
 二人が中に入ると、侍従は黙って部屋の外に出て扉を閉めた。
 部屋の中央に置かれたソファに、彼── ルルーシュ── は座っていた。まるで二人が来るのを待っていたかのように。
「二人共こうして僕を訪ねて来たということは、ある、のかな?」
 そう二人に鷹揚に問い掛ける。
 二人はルルーシュの前に跪き、頭を垂れた。
「その通りでございます、殿下」
「今朝、目覚めて気が付きました。つきましては陛下、いえ、失礼いたしました、殿下のご意向を確認いたしたく、こうして二人して参上した次第でございます」
 二人の言葉にルルーシュは頷いた。
「今日のことはそのままに。ただ、ナナリーと行儀見習いで離宮に上がっているアーニャを、今夜は決して一階に近付けないように。そしてあの子供を捕まえてくれ、決して逃がさないように」
「承知いたしました。全ては殿下の仰せのままに」
 二人はルルーシュの言葉に首肯すると立ち上がった。
 そのままロイドは離宮を辞し、ジェレミアは警備に戻った。途中、ジェレミアはアーニャ・アールストレイムの元を訪れ、ルルーシュの言葉を伝えて言い聞かせた。
 その夜、惨劇は起こる。
 アリエス離宮の女主人、皇帝の第5皇妃マリアンヌが何者かによって暗殺されたのである。
 しかし不思議なことに、その長子であるルルーシュは全て承知していたとでもいうように、落ち着いた様子で侍従や侍女たちに指示を出していた。
 そんな中、警備に当たっていたジェレミア・ゴットバルトが一人の子供を捕えていたことを、彼らは誰一人として知らなかった。
 マリアンヌが殺されて数日後、ルルーシュは父である皇帝に謁見を申し入れた。
 そして玉座の間と呼ばれる大広間、他の皇族や貴族たち、文武百官が居並ぶ中、ルルーシュは皇帝の座す玉座に真っ直ぐに向かう。
「父上、母上が身罷りました」
「……」
 シャルルは黙ってルルーシュの次の言葉を促した。
「犯人は既に捕らえて、宮の一室に閉じ込めてあります」
「犯人は何者だ?」
「父上もよくご存じの人物ですよ。外見はまだ子供ですが」
 口角を上げてルルーシュは告げた。その言葉にシャルルの顔色が一変した。
「……ルルーシュ……、子供がマリアンヌを殺したというのか」
 シャルルはそう問い掛けるのがやっとといった様子だった。
「そうです、あくまで外見だけですが。警備にあたっていたゴットバルト卿の長子が捕えました。彼に褒美を与えてください。そして彼を僕の騎士として認めていただきたく、今日はそのお願いに上がりました」
 シャルルはルルーシュの言葉に、口の中に沸いた唾液を呑み下した。
「……して、その犯人たる子供をおまえはどうしたい?」
「出来れば彼が母上の命を奪ったように、僕も彼の命を奪いたいのですが、生憎とそれは叶いません。ですから決して脱出することの出来ない場所に永遠に封じたいと思います。よろしいでしょうか?」
「……相分かった。そなたの望むようにするがよい」
 やっとといった感じでシャルルは答えた。
 そんなシャルルとルルーシュの、何事かを隠し、しかし二人にだけ分かっているかのような不可思議なその遣り取りに、大広間にいる者たちは首を捻り、ざわめきたった。
 ただ大広間にいる者たちは一つだけ理解した。皇帝の第一の寵妃であった母マリアンヌ皇妃を失って弱者となったはずの子供は、決して弱者にはなっていないのだと。その存在は僅か10歳にして皇帝を圧している。まるで何もかもを見透かしているかのように。
 シャルルは母であるマリアンヌを失った子供たち二人、ルルーシュとナナリーを、最近関係が悪化しつつある日本に送り込むつもりであったが、その方針を変更せざるを得なくなった。決して他の人間には口に出来ぬ理由によって。
 そうして10歳という年齢でありながら、18歳の記憶を持つルルーシュは、自分とナナリーが日本へと送り込まれることを防ぎ、ジェレミアを己の騎士とすることをシャルルに認めさせ、なおかつ無言のうちに、貴方の計画は潰えたのだと告げたのだった。
 結果、ブリタニアは日本を攻めることはなく、さらなる他国への侵略行為も沙汰止みとなった。シャルルは全てに興味を失い、何もかも諦めたかのような在り様になり、弱肉強食を謳っていた面影は消え失せ、皇帝位は第1皇位継承権を持つオデュッセウスのものとなった。
 神聖ブリタニア帝国は第99代皇帝オデュッセウスの御世となり、ヴィ家の後見であるアッシュフォード家は、ルルーシュがマリアンヌを殺した犯人を捕らえたことにより爵位を剥奪されることもなく済み、ルルーシュに対する忠誠を篤くした。さらにヴィ家は、何故かゴットバルト辺境伯爵家とアスプルンド伯爵家の後見を得ることとなり、弱冠10歳の皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは宮廷での足場を固めたのである。
 新しい皇帝を戴いたブリタニアの宮廷の中、己の宮たるアリエス離宮で、ルルーシュは己に忠誠を誓う二人、ジェレミアとロイドを前に子供らしからぬ不敵な笑みを浮かべていた。

── The End




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