Trauer 【Olivie】




 夢の守護聖オリヴィエは、一人通信室に入り、女王補佐官であるロザリアとの回線を開いた。そしてロザリアに何と告げようと、どう話したらいいのかと迷いながら、沈んだ面持ちでロザリアを待つ。
 やがてモニターにその姿を現したロザリアは、硬い顔をしていた。それはもしかしたら、オリヴィエが告げる内容を察してのことかもしれなかった。
「……ロザリア、ごめん……」
 オリヴィエは悲痛な顔で、それだけ言って唇を噛んだ。
「……彼は……逝ったの、ですね……?」
 オリヴィエの様子とその一言に、ロザリアは全てを理解したのだろう。いや、それ以前に、彼女── いや、彼女たち、か── には予感があったのかもしれない。
 ロザリア震える声でオリヴィエに問い返した。
「ええ……」
 オリヴィエは頷きながら答えた。
「ごめん。あんたに、あんなに言われてたのに……、防げなかったよ。何もできなかった、いや、しなかった……。もっと気にしてなきゃいけなかったのに……」
「……辛いと思いますが、その時の様子を詳しく話していただけますか?」
 オリヴィエは頷き、話し始めた。
 闇の守護聖クラヴィスとの最後の遣り取り、その後に起こったこと、そして墓守だと言った老人との会話── オリヴィエの知る、目にし、耳にした全てを。
 モニターの向こうで黙ってオリヴィエの話を聞いていた女王補佐官の美しい顔は、すっかり蒼褪め、聖杖を持つ手は震え、それは小刻みに揺れていた。
「……そう、ですか……」
 話を聞き終わり、ロザリアは紅を差した艶やかな唇を開いて短く答えた後、何かを考えるように黙り込んだ。
 オリヴィエはその様子に、口を挟むことなく、ロザリアの次の言葉を待った。それがたとえ自分を責める言葉であったとしても、甘んじて受けるつもりで。
「……オリヴィエ、この件、既にジュリアスには?」
 だが、再び唇を開いたロザリアが音に乗せた言葉は、問い掛けだった。
「……いいえ、まだ。でも、サクリアを通してクラヴィスがいなくなったこと、いえ、あるいは死んだことを察してるかもしれないとは思うけど」
「……それは、今はまだないと、思います」
「?」
 ロザリアの言葉に、オリヴィエは首を傾げた。
 そんなことは在り得ない、サクリアの変調を感じることがないなどということは。ましてや、ジュリアスは光の守護聖、闇の守護聖たるクラヴィスとは対を成す存在なのだから。
「壁のせい、でしょうね。あなたがたがそちらに入ってからは、闇のサクリアも、夢のサクリアも、こちら側では感じ取ることができないのです。壁が消滅すれば、そのようなことはなくなると思いますが、今はまだ、壁は存在しています。つまり、こちら側では闇のサクリアの変調を感じるも何もないのですよ。あなたの、夢のサクリアも」
 ロザリアはゆっくりと、自分自身でも確認するようにオリヴィエに語りかけた。
「じゃあ、まだ誰も、知らないのね……」
「……ええ」
 頷き、ロザリアは一度目を伏せた。
 暫くして目を明けてモニター越しにオリヴィエを真っ直ぐに見つめたロザリアは、顔色はまだ微かに蒼褪めてはいたが、何かを決意したように、毅然としたいつもの有能な美しい女王補佐官の顔に戻っていた。
「オリヴィエ」
「はい」
 口調も改まったロザリアに、オリヴィエも背を正した。
「今回の件に関する報告書は二通作成して下さい」
「……どういうこと?」
 ロザリアの言う意味を図れずに、オリヴィエは問い返した。
「一通は、先ほど伺ったことを全て含めて、私に。もう一通は……、クラヴィスと魔女の関係を省いたものを、正式の報告書としてジュリアスに」
「なっ! ? どういうつもりよ! そんなことしたらクラヴィスが……」
「クラヴィスに関する資料の中に、そのようなことは一文もありませんでした!」
 重ねるように告げられたロザリアの言葉に、オリヴィエは眉を寄せた。
「資料……って……」
「補佐官の任に就くにあたり、前任者であったディア様から、様々なものを引き継ぎました。その中には、守護聖に関する記録もありました。もちろん王立研究院の管理する公文書館の非公開文書の中にもそれはありますが、私の手元にあるものはそれよりもずっと詳しいものです。守護聖の出生地、家族、経歴、守護聖となった際の経緯── それら総てが記録されています。その中に、今聞いた話はその一片たりとありません。ただ、クラヴィスは流浪の民の出身であり、唯一の肉親であった母親は事故死── とのみ」
「……っ! ?」
「お分かりですね、オリヴィエ? 何も無かったのです、少なくとも公式には……」
 柳眉を寄せ、苦しげな顔で、ロザリアは自分自身に言い聞かせるように震える声でオリヴィエに告げた。
「それからこのこと、他言無用に。よろしいですね?」
「……ジュリアス、にも……?」
「そうです。必要があれば、私から、あるいは、場合によってはいずれ陛下ご自身から、話をすることになるでしょう」
 結局、この事実がジュリアスに伝えられるのは聖地の時間にしてこれよりおよそ一年の後、ロザリアが告げたように女王自らの口から語られることとなる。
「……オリヴィエ」
 ロザリアの呼びかけに、オリヴィエは俯けていた顔を上げた。その顔には、明らかに不満が、そして怒りがあった。膝の上、握り締めた拳は怒りからだろうか、ぶるぶると震えている。
「あなたが何を思っているかは、分かります。私とて同じです。けれど、他の、特に若い守護聖たちに余計な動揺を与えたくはないのです」
「何が余計な動揺っ!? 真実を伝えることの何がいけないっていうの!? いくら聖地だからって、こんな横暴が許されると思ってるの!?」
 思わず立ち上がったオリヴィエは、髪を振り乱し、モニターの向こうにいるロザリアを睨み付けながら、彼らしからぬ大声を上げて抗議する。
「許されるなどとは思っておりません。もしこのことで何かの咎を受けねばならぬとしたら、それは全て私が受けましょう。けれど既に起こってしまったことは変えられません。そして、聖地を守るためには……クラヴィスの件を知られるわけにはいかないのです。あなたの辛い気持ちは分かりますが、くれぐれも、よろしいですね?」
「聖地を守る? 何から何を守るの? 守りたいのは聖地の権威でしょう?」
 嘲るような壮絶な笑みを浮かべるオリヴィエの顔は、怒りに紅潮していた。
「オリヴィエ、それ以上は聖地への、女王陛下への反逆ととられかねませんよ」
「なら、クラヴィスはどうなるの? 一体何のために死んだの! ? もう死んだから、関係ないとでも言うわけ!?」
「……もう二度とこのようなことが起きないようにすることが、彼と、彼の母親に対する何よりの償いだと、私は思っています。それでは、いけませんか?」
 言って、ロザリアは静かに立ち上がった。
「ロザリアッ! !」
 もうこれ以上話すことはないというように、オリヴィエの返事を待つこともなく、その呼びかけにも答えず席を離れ、そのままいこうとして足を止め、振り向いた。
「ジュリアスに提出する報告書も、彼に出す前に私に見せてください。……一刻も早い帰還を、待っています」
 そうしてモニターは通信室を出て行くロザリアの後姿を映し、やがて切れた。
 ロザリアとの回線が切れた後も、オリヴィエはそのままに通信室にいた。真っ暗な何も映さないモニターを前に、ただ座していた。
 ロザリアを責めても仕方ないのだと分かっていたが、それでも責めずにいられなかった。
 ── ……クラヴィス……。
 思い出すのは昨夜のクラヴィスの表情。一人ではないのだと、自分たちがいるのだと叫ぶように告げた時に見せた、彼の表情。今にも泣き出しそうに歪んでいた。
 オリヴィエは思わず右の手で顔を覆った。
 その手の下、一筋の涙が流れる。
 ── なんで、あんたばっかり……。何もかも奪われて、しかもその上、聖地の正義を、権威を守るために真実すら闇に葬られて……っ!! いくら宇宙を統べる女王の膝元たる聖地だからって、そんな権利がどこにあるっていうのっ!? ねえ、クラヴィス、本当に、あんたはこれで良かったの? こんなふうに扱われて、悔しくない?
 ……ああ、もう関係ないんだね、あんたはもう、どこにもいないんだから……。馬鹿な真似をしたって、今回の件の解決には他にも何か方法はあったんじゃないかって、思うけど、でも……、もしかしたらこれで良かったのかもしれないね。生きて、聖地のために滅びていったあんたの一族の歴史を、あんたを奪われた母親の怨み、哀しみ、無念さを、ひいてはあんたの人生を、その全てを闇に葬り去られるのを見るよりは。全てに絶望して死人のように抜け殻のようになって生きていくよりは。
 けどそれでも、私はあんたに生きていて欲しかったよ。生きて、生きる喜びを見つけて、その喜びを噛み締めてほしかった……!
 声もなく、ただ涙が流れるのを止められなかった。
 ふいに、一人の同僚の顔を思い浮かべた。
 何か予感があったのだろうか。ロザリアと同じように、いや、ロザリア以上に、クラヴィスを気にしていた男。決してクラヴィスから目を離してくれるなと、出発前にしつこいくらいに繰り返し訴えていた男。
 ── ごめんよ、あんたとの約束、守れなかったよ、オスカー……。

── das Ende




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